この溺愛にはワケがある!?
「……………………………」

美織は……美織の思考は一瞬停止した。

(この人は今、何て言ったのだろう?)

ここは市役所の住民課。
婚姻届を取りに来たり、婚姻届を出しに来たりする人は山のようにいる。
だから、結婚、というワードがこの場で出ることに何の不思議もない。
そう………何の不思議もない、が。

(そうだ、聞き間違いだわ。この人は、婚姻届の《申し込み》に来たと言ったのでは?)

《申し込み》というのは、おかしい気もするが、言い間違いなんて誰にでもあることだ。
こういう場で焦って言い間違える人は思ったよりも多い、ということを美織は良く知っていた。

「あ、はい。婚姻届の提出ですね?」

「ええ。貴女から色好い返事を貰えれば遠からずそうなるでしょうね?」

男は口元に微笑みを浮かべたまま、美織を見つめている。
その時、寝不足で働いていなかった美織の頭は漸くフル回転し始めた。

(ヤバい……これは久々にヤバい人に当たったのかもしれない!)

美織は横の寧々をチラチラ見て助けを求めた。
しかし、彼女は耳が若干遠いおじいさんの相手をしていてそれどころではないらしい。
一つ向こうの芳子も忙しそうだ。
亮二は……遠すぎて助けは求められない……。
目の前の男は微笑みを張り付けたまま、美織の答えを待つようにそこに座っている。
格好だけ見れば内ポケットから拳銃やナイフが出て来そうだ。
だが……このままでいても男は帰りそうにない。

「あの………」

「はい?………………あっ!あ、そうか。すみません」

(何がすみません、なんです??何で謝ったんですか??ていうかもう帰れ!!)

顔をひきつらせた美織の前で、男はジャケットの内ポケットへ手を滑らせた。

(け!け!拳銃!?ちょっと、私、殺される!?)

美織が思わず半歩後ろに下がったのと同時に、男は内ポケットから黒く四角い革製の物を取り出した。
それは一般的にいう「名刺入れ」。
後ろに下げた足をこっそりと戻すと、美織は何事もなかったように応対を続けた。
しかし出されたものが拳銃でなかったとしても、まだピンチに変わりはない。
警戒を解くわけにはいかない。
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