訳あり結婚に必要なもの
センターから徒歩10分の所にあたしの城がある。2階建ての小綺麗なアパートはいわゆる『社宅』というやつ。会社から補助金が出るので、家賃はここらの似たような物件と比べると半額以下だった。
あたしの部屋は2階だが、三輪も同じ社宅の1階で暮らしている。

この日もあたしはいつも通りコンクリートの階段を音を立てないように上っていたのだ。違ったのは三輪と飲みに行く約束が出来て心が弾んでいたことと、狭い階段を上った先に人影があったこと。

「……っ!?」

思わず息を呑んでしまったのは、その人影に見覚えがあったから。

うそ。まさかいるはず……!

その人は黒い野球帽を深く被っていた。だからすぐに顔は見えなかったけれど、足を止めたあたしの気配を感じたのか、その人が顔を上げる。野球帽から覗く岩でさえも砕いてしまいそうな鋭い瞳があたしを捉えた。

「……美和」

彼があたしの名前を呼ぶことで、待っていたのはあたしだと気付いてしまった。

「……和明(かずあき)」

出来ればもう二度と会いたくはなかったその人の名前を口走る。彼は満足そうにその唇に笑みを浮かべた。

「待ってたよ、美和。随分と遅い帰りだね」

増谷 和明 (ますたに かずあき)。
2年前に半年ほど付き合っていた人だった。

「技術部は本社や支社と違って定時がないから、別に遅い帰宅じゃない」

センターは定時がない。実験の進み具合もあるから24時間体制である代わりに、全員がちゃんと休むためにシフト制にしている。まぁ、根っからの研究家肌ばかりが集う技術部でそのシフトが守られたことはほとんどないんだけど。
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