belief is all 『信念がすべてさ』
 一度、盗んできたブツをいつも通り吸ってみたら突然恐ろしいくらい胸や腹が苦しくなり、とても立ってはいられず転がってのたうち回るように悶え苦しんだ事がある。
(ああ、このまま死ぬんだ‥)
と、覚悟しなければならない程の状態になった。
 シンナーだと思っていたがあれは一体何を吸ったのだろう俺は‥。

 シンナーを吸っていてそれは無いだろう、十五歳の秋の事だ。自転車で一日にどれ位の距離を走れるものなのかやってみようなどと思い立つ。ある土曜日の夜半、さっきまで、ほんの二時間前までラリっていて、深夜二時、真暗な町にペダルを踏み込んだ。吐く息が「はあはあ」とシンナー臭い。頭はまだボーッとしている。峠道では街灯が無く、月明りで白線を追いながら俺はペダルを踏み続けた。
 アンパン浸かりの不良少年が普通やる事じゃない。その日俺は十九時間三十分かけて約三百キロを走破した。途中で少しの休憩以外は食事も自転車の上でパンを噛った。
 夜九時半に帰り、ぎりぎり風呂屋に間に合った。桶を持って下駄に履き替え、急いで部屋を出たが足がペダルをこいでいるように動いて変な歩き方になった。
 体力の限界、これは本当に過酷だったが、よく最後まで走り切ったものだ。
 自分でも驚く‥。

 やがて進学の頃、
「内申書が悪すぎる」
と言う担任の命令で俺は希望していた公立高校を受験させて貰えなかった。代わりに受けた私立高校へ通う事になる。

 ただし、たった三日間だけ‥。

「親に学歴が無いからせめて高校だけは」
と言われ止められたが、内申書と担任のおかげで高い入学金を支払ったにも関わらず、その学校が嫌で嫌で仕方がなくなった。
 そこで出会った教師がおおよそ魅力のある人物ではなかったし、入学時のアンケートに生徒の実家の財産や資産を問う項目があり、そんなもの何一つ無いスナックのママのせがれじゃスタートから肩身が狭いようで、何かジーンと嫌な気持ちになった。それで泣きながら説得する母親に答えず俺は社会に出る事を選んだ。
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