belief is all 『信念がすべてさ』
 俺の競技会に向かう日々は続いていた。
 次の年、二十七名中十八位。その次の年、三十名中十二位。しつこく食らいつく様に続ける俺は、永い階段を登る様に毎年少しずつ、ゆっくりと順位を上げていった。
 そして初出場から五年目を迎えた関東地区予選大会で審査発表を待つ選手達の中に又俺はいた。
(去年までの調子で順位を上げれたら、今年はギリギリ入賞出来るかもしれないんだ‥)データ予測では全国大会出場の上位入賞選手に今年はギリギリ入れるかも知れない。と、言ったところだった。俺の名はなかなか呼ばれなかった。
「総合準優勝、池袋支部代表‥‥‥‥」
俺の名前だ。優勝者との点差僅かに0.五点。優勝を逃し悔しさもあったが、思いがけなく二位に入賞し表彰台に立つ。初めての全国大会出場の切符を手に入れた。

 その年、新潟市で行われた全国大会。結果は全国で選抜された選手三十一名中、課題カクテル部門で第三位、創作では八位に留まった。カクテル調合の技術を主に審査する課題部門で評価され全国三位の賞状を手にするが、自分のオリジナル、自分の創作したカクテルのテイストで更に高い評価を得たいと思う。まだ諦められそうになかった。

 長い道程はまだまだ続いていた。

 その頃の俺はいわゆる『流れのバーテンダー』。余り一所に長く落ち着かず点々とあちこちの盛り場のバーを渡り歩いた。赤坂、六本木、新宿、そして池袋‥。

 競技会を目指し選手としてレギュラー出場するようになるにつれ、カクテルを調合していく作業、又バーテンダーの業務そのもの自体を厳しく受け止める様になり、勤めに出る先々のバーで、アルバイトや若しくはアルバイト的なバーの従業員と折合いが悪くなる。確かに元々調和した人付合いが得意ではなかったし、何かと孤立するたちだが、無責任な遊びの様な感覚でカウンターに立ち、くわえ煙草で酒を提供するような馬鹿野郎どもとはとても同居出来なかった。
 全てのバーでチーフ・バーテンダーとして入店したが、先にいた坊や達にとって『うっとうしい存在』に何時もいとも簡単になっていた。
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