流転王女と放浪皇子 聖女エミリアの物語
第四章 旅路の果て

   ◇ ナポレモの政変 ◇

 秋から冬にかけてエミリアが疫病と格闘していた頃、フラウムの宮殿に不穏な噂が流れていた。

 ナポレモの摂政マウリス伯から皇帝バイスラント三世宛にチェスの駒が送られてきた。

 その駒はビショップで、駒の頭部に針が突き刺してあったというのだ。

 その話は大臣から皇帝陛下に奏上され、シューラー卿が呼び出された。

 ビショップ、すなわち僧正だからである。

「これはいかなることか」

 皇帝陛下の下問に対し、ふだん冷徹なシューラー卿も明らかに狼狽した様子だったという。

「自らナポレモに出向きマウリス伯の真意をただして参ります」

 理由について言上することなく、僧正シューラー卿はただちにフラウムを発ち、アマトラニへ向かった。

 しかし、その後、シューラー卿の消息は途絶えることとなった。

 フラウムでは皇帝の勅命によりシューラー卿の邸宅で家宅捜索がおこなわれた。

 書斎から黄金の板が見つかり、拘束された側近の証言から、それはかつてナポレモの城でマウリス伯が商人アインツ・ブリューガーから没収した物であり、シューラー卿へ贈呈されていたことが明らかになった。

 カーザール帝国からナポレモへ特使が派遣されたが、マウリス伯は城内へ迎え入れることもせずに要求を伝えただけであったという。

 それはアマトラニ王国の王位継承権を承認せよというものであった。

 カーザール帝国庇護の下、マウリス伯はあくまでも摂政として政治を担当している立場であって、王家の正統な後継者はエミリアである。

 しかしマウリス伯は自分を新国王として承認するように働きかけてきたのである。

 帝国の後ろ盾を得て諸侯達を抑えつけ、王国を完全に乗っ取ろうとしたのだ。

 その際、シューラー卿は人質としてナポレモ城内に拘束されていることが明らかになった。

 帝国特使は直ちにフラウムへ伝奏し、折り返し拒絶の返答をマウリス伯に伝えた。

 それに対し、マウリス伯は強行策をとった。

 王国内の諸侯達をナポレモ城へ呼び出し、王家の名において領地を強制的に召し上げたのである。

 領地を持たず、王家から俸禄をもらう貴族を称号貴族と呼ぶ。

 本来は平民を貴族に準じる地位に引き上げるための形式的な称号であったが、貨幣経済の進展で商人の力が大きくなるにつれて、上納金を集めるのに都合の良い手段として利用されるようになっていた。

 農業が経済の基礎である時代において、土地は地位や権力の象徴であり、封建貴族にとってはすべてに優先する財産であった。

 それを召し上げるということは配下の貴族達から経済力を奪い、王権を強化することを意味していた。

 領地から切り離され弱体化した貴族は、地位と名誉のみを与えられ王の下で働く役人として従属するしかなくなる。

 それが称号貴族であった。

 それはそのままアマトラニ王家に仕えてきたマウリス伯の立場そのものなのだった。

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