流転王女と放浪皇子 聖女エミリアの物語
◇ 聖女の葛藤 ◇
そのころフラウムでは、疫病の勢いは確実に衰えていたが、聖女エミリアを頼りにする貧しい人々はまだまだ施薬院に集まってきていた。
病人はけがれ呪われた存在として放置され、または隔離という名目で町はずれの森に捨てられていた時代である。
砂糖や岩塩を溶かした生姜湯を口に含ませ、体を清潔に保ってやることですら、立派な治療行為と言えた。
なによりもエミリア達の献身的な貢献によって、人としての尊厳があたえられた喜びがここへ運び込まれた人々の生きる希望へとつながっているのであった。
そんな施薬院はエミリアにとっても新しい自分の居場所であった。
ナポレモの城でもフラウムの宮殿でもなく、出自や身分も捨て去って自分自身の良心にのみ従って生きていくことのできる場所。
それがこの施薬院なのだった。
「エミリア様、皇帝陛下よりの御用資金をお届けに参りました」
キューリフが部下を引き連れてやってきた。
「ご苦労様。マーシャ、お願いしますね」
エミリアは女官に対応を任せて病人達の様子を見に行った。
彼女に任せるのには理由があった。
二人の関係が急速に進展しているからだった。
夜中に気分転換に星空を見に外へ出たときのことだった。
凍りつくような冷気に包まれた墓地の隅で、お互いのぬくもりを確かめあうように抱き合い、求め合う二人を見てしまったのだ。
それは自分とエリッヒとの間で行われていたことよりもより深く踏み込んだ愛情表現だった。
エミリアにとって、それは未知の行為であった。
彼女はそれがナポレモの城でジュリエに教わるはずだった快楽の秘儀であることを本能的に悟っていた。
その時は二人に気づかれないように戻るのが精一杯で、もちろんそのことを話題にすることなど考えられなかった。
胸の中に曇り空のようなすっきりしない気持ちがわき起こる。
自分もついこの間までは同じような気持ちを感じていたはずなのに、ほんの少しのすきま風が取り返しのつかない嵐になるとはまったく知らなかったのだ。
自分も頑なすぎるのだろうか。
不器用な男を相手にするには確かに経験が足りないのかもしれない。
でも、だからといってこちらから歩み寄れることでもない。
エリッヒの心の問題だからだ。
今のエミリアにとっては、やるべきことが多すぎたし、次から次へと担ぎ込まれる患者達の世話でよけいなことを考えている余裕などなかったのだ。
よけいなこと。
彼のことをそんなふうにしか言えなくなってしまったことが悲しかった。