流転王女と放浪皇子 聖女エミリアの物語
 テーブルの上の籠に盛られたパンを見てジュリエが感嘆の声を上げた。

「ずいぶんと上達なさったのですね」

「毎日やってますからね」

 エミリアは病人や兵士達に食べさせる食事の支度を手伝うようになっていた。

 料理をしている間は気が紛れるのだった。

 宮殿でエリッヒの朝食に出していた頃は不格好だった形も今はきれいな丸になり、味も食感も専門の女官達が作る物と変わらないくらいになっていた。

 マーシャが野菜を煮たスープを用意してくれる。

「あなたたちも時間を見つけてお食事をなさいね」

「はい、みなに伝えます」

 退出するマーシャの背中に目をやりながらジュリエがささやいた。

「いい子ね」

「ええ、よく働いてくれます」

「恋をしている顔ですわね」

「ええ、出入りの兵士と仲良くしているようですわ」

「兵士というのは、入り口の警備をしていた青年ですか?」

「ええ、キューリフという若い隊長さんです」

「ああ、やっぱり……」

 意味ありげに笑みを浮かべるジュリエに対し、エミリアは自分から質問するのは控えていた。

 この女性がこういった曖昧な表情をするのはいつものことだ。

 スープで体が温まったところで、ジュリエが単刀直入に用件を切り出した。

「お嬢様の方はエリッヒとはうまくいってないようですね」

「ええ」

 エミリアはためらうことなく肯定した。

 ジュリエは寂しそうにうなずく。

「もう終わってしまった?」

「ええ」

「仲直りの秘訣、お教えしましょうか」

 いつだったか旅の途中で教わったことだろうか。

 今回は同じ方法は使えないだろう。

 相手の胸に飛び込むことなど今の自分にはできない。

 想像するだけでも嫌悪感がこみ上げてくる。

「何か……あるのですか?」

「いいえ。残念ながら」

 ジュリエの返事にエミリアはふっとため息をついた。

「残念ながら終わった恋をよみがえらせることはできません。でも、仲直りの秘訣を知りたいと思ったのは、まだ少しでも彼のことを気にかけているからなのではありませんか」

「知りたくなどありません。問われたから、こちらも尋ねたまでです」

「エリッヒの心の中に他の女性がいることを許せない?」

「違います」

 それは嘘ではなかった。

 確かに自分が素直ではないのかもしれない。

 ただ、似た女性の影を自分に投影されていたとしても、そこに理由があるのなら、決して理解できないわけではない。

 大切な人との別れのつらさは自分にも理解できる。

 エミリア自身、寝て起きたら誰もいなくなっているのではないかと、今でも悪夢でうなされることがある。

 旅の途中でエリッヒが一緒に眠ってくれたこと、あのときの安らぎに嘘偽りはないことも分かっている。

 だからこそはっきりしているのだ。

 彼の過去のことを責めているのではない。

 今のことを納得していないだけだ。

 今の彼の気持ちが分からないからこそ、彼の存在を受け入れられなくなっているのだ。

 ただ一言、エリッヒの気持ちを聞かせてほしい。

 いつも出かかった言葉を飲み込んでしまうのは彼の方なのだ。

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