流転王女と放浪皇子 聖女エミリアの物語
◇ 旅立ち ◇
翌朝、部屋の中に衛兵達が入ってきた。
エミリアはシルクの青いドレスに着替えているところだった。
止めようとした女官が押しのけられて暖炉の角に背中を打ってしまった。
「無礼者、乱暴はおやめなさい」
あわてて胸元の紐を結ぶエミリアを衛兵がにらみつける。
「うるさい。さっさと来い」
粗野な衛兵達に取り囲まれて、王女はとっさに手元にあった熊のぬいぐるみを持っただけで城館の外に追い出されてしまった。
中庭には粗末な荷馬車が待ち構えていた。
馬に水を飲ませているのは知っている男だった。
「あら、あなたでしたの、ええと……」
「エリッヒです」
「そう、エリッヒね。騎兵士官だったわね。あなたの部下はどちらに」
「そんなものいませんよ」
「でも、あなた士官でしょ。隊長なら部下がいるはずじゃない」
「名ばかり士官でね。俺一人ですよ」
「なによ、貴族の騎兵隊長かと思ったら、ただの荷馬車の御者じゃないの」
「うるさい女だな。さっさと乗りな。出発するぞ」
「無礼者、言葉を慎みなさい」
エミリアは干し草を積んだ荷馬車を見回した。
乗ると言っても、これは乗り物ではない。
「早く馬車をつなぎなさいな」
王族の外出は四頭立ての四輪馬車と決まっている。
扉に王家の紋章がはめこまれた豪華なものだ。
「そんなものはない」とエリッヒは肩をすくめた。「マウリスってやつが乗り回してるぞ」
「では、わたくしはどこに」
「馬に乗れるなら乗れ。乗れないなら歩け」
「なんですって。わたくしに歩けと言うのですか。わたくしはアマトラニ王家の……」
男が手を突き出してさえぎる。
「仕方がないだろう。乗るのか? 歩くのか?」
「ならば馬に乗ります」
「じゃあ、そうしろ」
「乗せていただけるかしら」
「自分で乗れないんだったら、乗れるとは言えないだろうに」
エリッヒがあからさまにうんざりした表情で手を差し伸べる。
エミリアは手を取って鞍の上に横向きに座った。
「おい、横座りかよ。またがれよ」
「まあ、そのようなはしたないことをわたくしに?」
高貴な女性の乗馬姿勢としては横座りが正式だ。
しかし、遠乗りには向かない座り方だ。
安定しないので落馬の危険性も高い。
「落ちても知らんぞ」
エミリアはエリッヒの手を離そうとしない。
「おい、出発するぞ」
「あなたの手は大きいですのね」
「そうかい。つかみやすくて便利だろう」
そう言うと、エリッヒは乱暴に手を引っ込めて馬の綱を引いた。
馬が歩き出す。
ぐらりと揺れてエミリアが鞍をつかむ。
熊のぬいぐるみが落ちた。
「危ないではありませんか」
「いちいちうるさい。しっかりつかまってろ」
「拾ってくださいな」
「何を」
「それですわ」
王女の指す方を見て、男が顔をしかめた。
ぬいぐるみを乱雑につかんで荷車の干し草に放り投げる。
「何をするのですか」
「こんなものを持っていたら落馬するだろう。そこにのせておけ。行くぞ」
エリッヒはエミリアの顔を見ずに馬を引っ張っていく。