熱情バカンス~御曹司の赤ちゃんを身ごもりました~
「アトリエまでかなりあるだろ。タクシーを呼ぶからちょっと待っててくれ」
「あ、ちょっと、なぐ……じゃなかった、ええと」
詩織はとっさに〝南雲〟と言おうとしてから、昨夜のやり取りを思い出したらしい。
躊躇いがちに小さく口を開き、「梗一」と呼ばれると、胸に甘い痛みが走った。それだけのことが信じられないほど幸福で、たとえ用がなくても、何度も名前を呼んでほしくなる。
「なんですか? 姫君」
あたたかい気持ちになりつつも少しふざけてそう聞くと、彼女は俺の姿を上から下まで眺めてこう言った。
「そんな綺麗な服を着て森に入るつもり? 絶対に汚れるわよ」
まるで現地ガイドのように親切な忠告をしてくれる詩織に、俺は「そうかな」と首を傾げる。
綺麗……と言われても、別に下ろしたてというわけではないのだが。
むしろ、白いリネンシャツに黒い細身のクロップドパンツを合わせた今日の服装は、俺にしてはカジュアルだし、これ以上に森に入れそうな服は持ち合わせていない。
「別に構わない。万が一着れないほど汚れたら捨てる」
「……そう。後悔しても知らないからね」
そこまで念を押すなんて、詩織はいったいどれほどのレベルの〝森〟に入ろうとしているのだろうか。
まさか、鬱蒼(うっそう)としたジャングル? でも、普段は彼女ひとりで行動しているのだから、それほど危険な場所に行くとは思えないが。
俺は行き先についていろいろ想像しつつ、タクシーを依頼するため一人でフロントへ向かった。