月の記憶、風と大地

まさかこの年齢で、こんな悩みかでてくるなんて。

自分には結婚は向かなかったのだろうか。
過去の流産や生い立ちも関係しているのだろうか。


すべてを悪い方向へ考えてしまう。
弥生の悪い癖だ。

その時である。


「ブランコ!」
「わかった、わかった」


声が聴こえ、弥生の方に向かって歩いて来る。


あの二人だ。
やはり先日の親子は、津田と穣だったのだ。

さらに最悪な状況は続くのかと泣きたくなった。

弥生はブランコから立ち上がり、その場から離れようとする。


「お店のひと」


弥生が去るより早く、穣が指をさす。


「なに?」


津田が指の方向を見る。


「ぼくの塗り絵、褒めてくれたひとでしょ?パパと働くの?」


津田の手を離すと弥生の正面に回り込み、顔を覗き込む。
やっぱり、と穣はニコニコだ。


「今度、一緒に塗り絵やろうね。後台お兄ちゃんと静お姉ちゃんも、一緒にしてくれるんだ」


津田が息子と弥生を見つめる。


「え……ええと、野上原さんですか?」


津田が訊ねた。


「はい。こんばんは、津田店長」


もう観念した弥生が返事をすると身を屈め、穣に笑いかける。



「ぼく、よくわかったね。野上原弥生です」
「うん。ぼくは津田穣(つだ みのる)だよ」



穣が笑顔を見せる。


「穣、今日はいつもより長く遊んでいいから、最初は滑り台に行きなさい。お話があるから。暗いから気をつけるんだぞ」
「はーい!やったあ」


月明かりと街灯の下、穣は嬉しそうに滑り台に向かって走っていく。
それを見届けると、津田は弥生の隣のブランコに腰を下ろした。


「どうかしたんですか?」


弥生の精神はボロボロだった。

肉体的にも疲れて家のベッドで眠りたいはずなのに、精神的疲労が上回る。
しかし話を訊いてもらいたくて、弥生は全てを話した。


津田は驚き、そして同情してくれた。


「ヘビーな体験をしましたね」
「はい。もう、どうしようもないです」


弥生は情けなくなった。
が、不思議と涙は出なかった。

あまりにもショックを受けると、泣きたくとも涙もでなくなるのだろうか。



「そういう事情なので、ひょっとしたら、お店を辞退させて頂くことになるかもしれません。さっきの今で申し訳ないのですが」



弥生の中では仕事どころではない気がした。
こんな家庭の事情を知りながら雇うのも嫌だと思う。

弥生の言葉に津田は少し考え、口を開く。



「それなら尚更、働き口は確保しておいた方が、いいんじゃないですか?気も紛れるでしょうし」



津田が云った。



「うちの店、人手不足なんです。野上原さんは久しぶりの応募でした。だから辞退されると困ります」


津田が続ける。


「色々これからを決めて、新たに職と棲みかを探すのもいいですし。とりあえず、僕らと働きましょう」




< 15 / 85 >

この作品をシェア

pagetop