月の記憶、風と大地
「ありがとうございました」
サプリメントと滋養強壮剤を購入した客が、店から出て行くのを見送った津田は、静と後台に手短に挨拶と指示を済ませ足早に事務所に向かう。
腕時計を見ると七時四十分近くを指している。
怒っているに違いない息子の機嫌を、どうなだめようか考えながら休憩室に近づき、ドアに手を伸ばした時。
休憩室から声が聴こえ津田は隙間から覗く。
椅子に座った弥生が穣を膝に乗せ、絵本を読んでいる。
「……で、おしまい」
「おもしろかった!これも読んで」
「いいわよ」
テーブルには数冊の絵本が乗っている。
他に折り紙、落書き帳もあった。
津田がドアを開け室内に入ると穣の顔が明るくなった。
だが次には、どこか複雑そうな表情をする。
「パパ」
「津田さん、お疲れさま。穣くん、良かったね」
先ほどまで仕事が終わらない父親に不満だったはずの穣は、今は弥生と離れる時間が惜しくなったようだ。
膝の上から弥生を見上げる。
「絵本、もっと読んで」
「うん。また読んであげる。でも今日は終わり。また違う絵本持ってくるね」
「終わりなの?ぼく、まだ一緒にいたい」
「また今度ね。約束」
弥生は子供がそうなる事も、わかっていたようである。
「今がいい」
穣は弥生から離れない。
それを見た津田が腕組みをする。
「わがまま云うんじゃない」
「やだやだ!」
穣は弥生に抱きつき、泣きだした。
「疲れて眠くなったかな。お利口にしていたものね、穣くん」
小さな子供のわがままが、とても愛しく感じる。
大人はこんな風にはもう云えない。
自分も、もっと夫に甘えて良かったのではないか?
しかし性格から云って、それも難しい……。
それに全てがもう遅い。
弥生は穣をそっと抱き締めた。
津田が静かに口を開く。
「一緒に夕飯食いに行きませんか。穣を子守りしてくれたお礼です」