月の記憶、風と大地
弥生と津田、穣は近場の飲食店で食事をした帰り道だった。
時刻は夜九時、少し前。
和人には職場の人間と食事をして帰る旨は伝えてある。
「一応、妻ですから」
津田は無言だった。
穣のリクエストで公園に立ち寄り、津田と弥生は今日はブランコではなくベンチに並んで座っている。
「弥生さんとこの公園で逢うのは、三回目ですね」
伊達眼鏡を外した津田は店とは雰囲気が違う。
「穣があんな風に泣くことは、あまりないんです。静さんや後台にも。弥生さんは違うのかな、お子さんはいるんですか?」
弥生は首を振る。
「いいえ、いません。姉に子供がいるんですが、よく子守りをしていたんです。小学校低学年くらいまでは面倒をみてました」
そのおかげで姉は仕事に没頭することができ、今は高いポストにおりキャリアウーマンとして地位を築いている。
今は中学生になって学校に部活に遊びに夢中であるらしく、弥生には見向きもしなくなったが、良い経験だったと微笑した。
「穣くんも、あっという間に大きくなりますよ。身長もパパを越えるかな」
滑り台で遊んでいる穣を見つめる。
「その後どうですか。解決しそうですか」
「……いえ。まだ時間はかかりそうです」
弥生は心苦しい。
あんな写真をまだ持たせているのだから、当然だ。
津田の口元に意地の悪い笑みが浮かぶ。
「あの写真で、ご主人と愛人を脅しましょうか」
弥生は驚いて津田を見て、顔を激しく左右に振る。
「そんなつもりはありません。ただ、自分でもどうしたら良いのか、わからなくなって」
浮気相手の太田美羽がとんでもない悪女で、浮き世を流すような女性だったら呆れて物も云えなかったのだが、美羽はお嬢さん、という感じの素敵な女性だった。
和人の何に惹かれたのかはわからない。
美羽が悪魔の尻尾を隠していて弄んでいるとしたら恐ろしいが、和人にそこまでする必要があるだろうか。
弥生は思う。
自分とて夫は好きだった。
しかし愛してはいなかったのかもしれないと。
「面倒ですね。男女の色恋。今の年齢で、まさかこんなことを思うようになるなんて」
和人本人も面倒になるとは思っていなかったに違いない。
「良いか悪いのかはわかりませんが、人生を見直す機会にはなりました。不安はありますが」
そういえば、夫とそういう事をしたのはいつだろう?
確実に五年、いや十年以上はないのではないか。
そうか、と弥生は確信した。
自分はずいぶん前から女とは見られていない。
本当にただのペットだったのだ。
家事をしてくれる便利なペット。
夫も苦しい時間はあったはずだ。
しかしそれをお互いに乗り切ることができなかった。