月の記憶、風と大地
静に礼を述べ売り場に出ると、弥生と後台が医薬品売り場で会話をしている。
「弥生さんはアルバイトだし、取らないという選択もありですよ」
登録販売者の資格を取り申請すると、多少なりと給料は上がるが、それだけ仕事は増える。
給与と労働を考えると見会わないと考える人間も多い。
後台も、その現状を知っている。
弥生は決意を込めた表情で、後台を見上げる。
「でも私は、これといった資格を持っていないので、これを機会に取りたいと思っています」
休憩中もテキストとノートを開き、レジの合間にもメモ帳を開いて薬の成分、人体の構造などを覚えようと努めた。
薬は現物が店にあるのだから、レジを離れた時間は箱の成分を見て確かめたりもする。
弥生の熱心さに後台は頷いた。
「わかりました。では今日も問題やりましょうか」
後台が薬について問題を出してきた。
「激しい咳に効果のある、漢方薬は何でしょうか?」
弥生が少し考え、答える。
「……五虎湯(ごことう)ですか?」
「正解。漢方薬の名前って面白いですよね。『五虎湯』は、五つの生薬が入っています。諸説ありますが、五頭の虎が吠えているような激しい咳、という意味もあるようです」
他にも『湯』と名前の付いた漢方薬は湯剤といって元は煎じて飲む薬だった、だからお湯で飲むと効果的だとか、豆知識を教えてくれた。
「イメージがあった方が覚えやすいでしょう?」
弥生は簡単にメモを取り頷く。
「後台さん、さすがですね」
弥生が感嘆すると、後台はにこやかに笑う。
「ここに勤めるようになってからですよ」
弥生はメモから後台に視線を移す。
「今はわかりませんが、薬剤師試験って漢方薬は少ないんです。二百五十問中、三問くらいでした」
弥生が驚き後台は続ける。
「面白いです。漢方薬。弥生さんも大丈夫ですよ」
「頑張ります」
弥生は一生懸命だ。
いつもの津田ならば「私語は慎め」と注意する所だが、今回は見逃すことにした。
仕事に関係のある話しだったという理由もあったが、それ以上に弥生のやる気を尊重したかったからだ。
「……」
弥生の笑顔を見ていると自分の心が自然と穏やかになる。
最初は面白半分に弥生に接していたが、津田の中で確実に変化が起きていた。
「いらっしゃいませ!」
笑顔で掛け声を店内に響かせる。
後台も弥生もそれに続き掛け声をし、時間は流れて行った。