月の記憶、風と大地
顔を紅くさせた静は遠い過去を見つめたように、どこか切なく笑った。
静は語らないが瞳の奥深くに、暗い何かが見えたような気がする。
後台は堪らずに向き直る。
「静さん、何度も云いますが、おれは」
「はいはい。いつもありがとうございます、後台さん」
「おい」
津田が言葉を挟んだ。
「あのな、おまえら。後台も口説くなら、場所を変えろ」
津田が掌に顎を乗せ呆れている。
「まったくです。ムードもへったくれも、ありませんね」
静が可笑しそうに答えた。
「静さん、少し風に当たりましょうか。ピッチ早すぎですよ」
「本当にあたしを口説く気ですか。変わった人」
後台が静を支え、店の外へ出ていく。
身長差のある二人を見送ると、津田と弥生が席に残った。
弥生は梅酒をロックで呑んでいる。
「うまくいくといいですね。静さんと後台さん」
普段から後台はアプローチしていたし、自然に心から応援している。
祝福したいと思っている。
「弥生さん。資格の勉強は進んでますか」
津田が箸でおでんの大根を割り、口へ運ぶ。
微笑ましい気持ちになっていた弥生は、一気に現実に引き戻された。
「自分なりに進めてはいますが……」
「おれが使ってた参考書と問題集、貸しますか?役に立ちますよ」
助けに船とはこの事だろうか。
急ではあったが、不安を感じていた弥生には有難い申し出だった。
弥生が首を縦に振ると、津田は頷く。
「ぜひ、お願いします」
「じゃあ帰りにお渡しします。送りますよ」
「え、いえ明日で大丈夫です」
慌てる弥生を見つめ、津田の瞳が小さく笑った。
「わかりました。じゃあ、店でお渡しします」
メニューを取り出すとテーブルに置いた。
「何か注文しますか?」
「はい。お刺身にします」
「それいいですね。おれも食いたい」
追加注目した津田は、苦笑して息をついた。
「こうやって、女性と向かい合って食事なんて久しぶりなので、緊張しますね。歓迎会なのに仕事関係の話しなんてして、すみません」
弥生自身もそれは同じだった。
和人と一緒に食事したのは、いつだろう。
「いいえ。お店ではなかなかお話も出来ませんから、嬉しいです」
公園のブランコやベンチでは並んで会話していたため、向き合って会話をすることは初めてだった。
「再婚は考えているんですか、津田さん」
注文した刺身が届き、弥生は箸を割る。
「いえ。穣に母親がいた方がいいとは、思っているんですが。ちなみに穣の母親は、もう再婚しています」
よりを戻す、という方法があると思ういたが、それは無いようだ。
「津田さんはお若いし。穣くんに兄弟がいても良いですよね」