月の記憶、風と大地
ようやく笑いを押さえた弥生が、指で涙をぬぐいながら頷く。
「そうです。津田さんよりは三歳ですが、人生経験が長いですからね……恐いですよ」
「はい。おっしゃる通りです」
「まあ」
弥生は笑い、口調を改めた。
「津田さんは立派な方です。子育てもされて、きちんと考えていらっしゃるのに」
すると津田が、ばつが悪そうな表情を浮かべた。
「弥生さんによく云われる、それなんですが。実をいうと、そんなに先まで考えていなくて」
ノートパソコンを閉じる。
「布団に入って今日も終わったと、寝る前に照明のスイッチを切る。それが今の毎日のゴールです」
津田は云った。
「常に悩みは変わっていきます。仕事もですが、それの繰り返しなんだと思います。……無責任だと呆れますか?」
改めて自分の生き方や行動について、確認しているかのようだった。
弥生は首を横に振る。
「いえ。津田さんのお考えは正しいと思います」
津田は一人で育児に仕事に前向きに取り組んできた。
穣を見ていれば父親として、息子を立派に育てている事がわかる。
精一杯、彼は息子を愛している。
「いい加減ですが……ただおれは、穣を間違いだなんて思っていない。そこだけは、わかってほしいな」
「もちろんです。わたしの暴言で津田さんを傷つけてしまって。気をつけます」
後台や静が見ていたら「夫婦喧嘩の仲直りですね」と、からかわれたに違いない。
しかし二人は売り場で積極性や発注、レジ業務に追われており、事務所の様子など気にかけている場合ではなかった。
不思議だった。
津田と過ごすと自分自身を見つめ直す事ができる。
それは津田も同じだったのだが、お互いにそれが何なのかはわからない。
いや、わからないフリをしたのかもしれない。
お互いがお互いを高める相手だと改めて認識することは出来た。
「……」
その胸の内を表現することを二人はしなかった。
津田もそれ以上は何も云わず休憩室で着替えると、ボディバッグを斜めに掛けて現れる。
「出張、お気をつけて」
「はい。弥生さんも」
津田が弥生を見つめている。
弥生もまた津田の瞳を覗き込む。
津田は店を後に弥生は倉庫から品だしの準備を始めた。
美羽と和人も、同じような気持ちから始まったのだろうか。
しかし自分は夫と同じ事はしたくない。