月の記憶、風と大地
ドラッグストア店舗からは自動車を使い三十分ほど走らせた場所に、そこはあった。
ビルが建ち並ぶオフィス街の一角にある十六階建ての建物である。
訪れた津田は会議室で新商品、特殊素材の白衣を身に付けた写真を撮り、開発部の主任と簡単な対談を交わす。
「収縮性といい通気性といい、最大のパフォーマンスを発揮出来ると思いました」
「ありがとうございます」
握手で最後は締められ、和やかな雰囲気で撮影が進み終了した。
終始様子を見ていた和人は感心したように顎を撫でる。
「君は落ち着いているな」
撮影は津田だけではない。
他に看護士や調理師など、様々な場所で白衣を使用している関係者が呼ばれていた。
緊張で身体が硬直している者もいるのに、津田は普段通りだった。
ずば抜けて話術も長けている。
「鈍感なだけですよ。さらに云えば、状況がわかっていないだけです」
津田は白衣を脱ぎ腕にかける。
「ドラッグストアの店長をしています。勤務先から場所から近いからと、僕が選ばれたようです」
和人は津田を見る。
「私の妻も近隣の店で働いているんだが……」
「ああ、やはりそうでしたか。野上原弥生さんのご主人さんですね。初めまして」
津田は握手を求めなかった。
営業向けの笑顔だけを見せる。
「弥生さんには、いつもお世話になっています。店員としても優秀で魅力がある女性ですから、助けてもらっていますよ」
和人は違和感を感じ眉を動かす。
「失礼。野上原婦人、の方が良かったですね」
津田が和人の瞳を初めて真っ直ぐに見た。
それ以上は何も云わず軽く会釈をすると会議室を出て行く。
何人かの女子社員が顔を紅潮させ騒いでいる。
連絡先を交換しようとする者もいたようだが、はぐらかされたようだ。
気づいた和人はそれをたしなめると会議室の外に出た。
平静と自然をを装ったものの、彼の上司としての余裕と男としてのプライドが混沌と渦を巻いている。
「まさか……」
和人はスマートホンをスーツから取り出すと電話帳をタップする。
津田は笑顔を見せていたが瞳は笑っておらず、宣戦布告にも思えた表情だった。
奪ってやるぞ、と。