月の記憶、風と大地
白い日本製のステーションワゴンの車内である。
「運動会、楽しかったか」
それぞれが帰路についている。
帰りの車内で、ハンドルを握った津田が云った。
バックミラーに映る後部座席には、チャイルドシートに乗った穣が見える。
「うん。お弁当おいしかったし、みんな来てくれて楽しかった」
穣はリレーの順位は真ん中だったのだが、それでも満足したようだった。
「ぼく弥生さんがママみたいで、嬉しかったよ」
津田は瞳を一瞬、ミラーに動かした。
すぐに正面に戻す。
「パパも弥生さんのこと、好き……」
「穣。弥生さんは、お仕事の仲間だ。後台くんや静さんと同じだ」
津田は優しく、しかし反論を赦さない口調で息子の言葉を遮る。
「……」
しばしの沈黙が流れた。
「疲れただろう。家に着くまで眠っていいぞ」
「ええー。眠くないのに」
穣は面白くなさそうに答えたが、あくびをしている。
「眠くないもん……」
「そうか。どっちでもいいがな」
津田は小さく笑った。
昨年の運動会の帰りは疲れて車の中ですぐに眠っていたのだが、今年は違うようだ。
確実に息子は成長している。
それは自分も老いている事を意味している。
「これから先か……」
今までは勢いで来てしまった。
育児は仕事と違い、終わりがない。
転職前の貯金もあるし今もさほど金は使っていないが、これから先を考えると確かに不安はある。
穣も大きくなり、手がかかることは少なくなってきた。
もっと自分を上昇させても良い時期なのかもしれない。
『パパも弥生さんのこと』
穣の言葉にああは返事をしたものの、それが偽りだと分かっている。
弥生は人妻だ。
この事実を何回も自分に言い聞かせている。
弥生の夫である和人に会った時、穏やかではいられなかった。
「あんな身勝手な男と、なんで……」
思わず口に出して音声にしてしまい我に返る。
それ以上は何も云わず、車を走らせた。