異世界で、なんちゃって王宮ナースになりました。~王子がピンチで結婚式はお預けです!?~

「レシピは水一リットルに対して砂糖大さじ二杯、食塩小さじ二分の一、レモン適量よ。これを少しずつ飲ませましょう」

 最初は一緒に経口補水液を作り、残りをクワルトに任せる。
 私はというと強い抗菌作用のある黄檗の樹皮を熱湯の中に入れて、湯が黄色くなるのを待つ。苦味は強いけれど、菌だけでなく下痢にも効くので良薬は口に苦しというのはあながち間違いではない。
 こうして薬と経口補水液を作り終えた私たちは手分けして、重症患者から順々に飲ませていった。

「お願い、頑張って……お願い」

 私は意識のない患者を抱き起して、片手で経口補水液の入った陶器の吸い飲みを持つ。その飲み口を患者の乾燥で荒れた唇に押しあてると、何度も呼びかける。
 点滴がない以上、血管から失われた水分と電解質を補給することはできない。なんとしても口から飲ませなければならないのだが、意識がない状態で流し込めば気管に入ってしまう可能性があるため、できない。

「お願い……っ、これさえ飲めば助かるからっ」

 それでも、患者はなんの反応もみせなかった。目の奥が熱くなって、私は唇を噛むと患者を床に横たえる。
 意識がない患者は現時点の医療では救えない。だったら、意識がかろうじてある患者のもとへ行くべきだと頭ではわかっている。
 でも、ここで私が諦めるということは患者の死を意味する。私の判断が患者を殺すのだと思うと荷が重くて、それでも自分を叱咤して立ち上がった。
 生死の狭間にいる患者はたくさんいるのよ、限られた時間を考えて使わなくては。
 そうやって人である私が生死の選定をしながら、全員に服薬させ終わる頃には空が真っ暗になっていた。
 身体がというよりも心が疲弊して、へとへとになりながら施療院の看護師が常駐する部屋に戻ってくるとクワルトとひと息つく。

「患者の食事は消化管を休める必要があるから、絶食にする必要があるわ。あとは……コレラがどうして起きたのか、つきとめないと」

 向き合うようにして椅子に座っているクワルトに話しかけると、その顔に心なしか影が差している。きっと、私と同じように救えなかった命を目の当たりにして、罪悪感に胸を痛めているのだろうと思った。

「アストリア王国の奇病は僕たちレジスタンスが持ち込んだものではないからね、一体なにが原因なのか……」

「考えられるのは汚染された水を飲んだ、もしくは海産物を食べたとかかしら。患者の体調が回復したら、皆が感染する前になにを食べたか聞き込みをしましょう」

 お互いになにがあったのかは口にしなかった。言葉にする勇気と事実を受け止めきれるだけの心の余裕や気力がなかったからかもしれない。
 人ひとりにできることなんて本当に少ないけど、その限られた時間や力でやれるだけのことをやるしかないのよね。
 沈みかけた気持ちを無理やり奮い立たせて、ランプを手に立ち上がった私をクワルトは目を丸くしながら見上げてきた。

「若菜さん、どうしたの?」

「巡回よ。本当なら夜も施療院に泊まり込んで、ここにいる人たちのそばにいたいけど、できないから……」

 私は奇病を治すように言われてはいるが、監視体制の問題で夜には城に戻らなければならない。逃げ出す可能性があるからと、クワルトがプリーモたちに命令されているらしい。もどかしいが彼の立場を考えると無茶はできないので、せめて急変の可能性がないかだけでも確認しておきたかった。

「若菜さん、今の今までずっと走り回ってたじゃない。休憩だって数分しかとれてないでしょ? 大丈夫なの?」

 心配してくれているクワルトに私は肩をすくめる。
 
「辛いのは私じゃなくて、ここにいる患者だわ。だから、へばってる場合じゃない。動けるうちは、やれるだけのことをする。でも、クワルトはちゃんと休まなきゃダメよ」

 ついてくると言いかねない彼に念を押して、私は看護師の常駐する部屋を出る。またいちばん奥の病室から、患者の様子を確認していくことにした。
 眠っている患者を起こさないように病室に入ると、すすり泣くような声が聞こえて私は周囲を見渡す。
 すると、ここへ来て初めて診察したエミリさんが床に敷いた布の上で横になったまま身体を縮こまらせ、涙を流していた。
 私はそばに寄ると腰を落として床の上にランプを置き、エミリさんの腕に触れる。

「どこか、苦しい?」

 そう尋ねると、エミリさんはただ首を横に振る。それから人目を恐れるように、自分の顔を両手で覆った。

 ――もしかして、見られたくないのかしら。
 年齢にしたら恐らく二十代くらい。それなのに重度の脱水で顔の皮膚は老人のように干からびてしわくちゃだ。恋愛、結婚適齢期である彼女にとって、アイデンティティーである身体の変化は心に大きな負担をもたらしたはず。
 なんて声をかけるか迷って、それでも言葉が見つからなかった私は、ただ彼女の手を握った。
 一瞬、びくりと彼女は震えたけれど、振り払われなかったのでそのまま寄り添う。そからどのくらいの時間が経ったのかはわからないが、ぽつりと彼女が話しだす。

「私……結婚式を挙げるはずだったの」

 掠れた声で打ち明けられた話に相槌を打つことなく、私は耳を傾ける。彼女の口から吐露される思いを少しも遮りたくなかったからだ。

「ウェディングドレスまで彼と選んだのに……式を挙げる前日に吐き気と下痢がとまらなくなって、数日たったら……こんな、おばあさんみたいに……っ」

 その声は震えていて、彼女は怯えるようにさらに膝を曲げて身体を丸める。

「きっと彼も、こんな私を見たら嫌いになるわ」

「あなたの婚約者さんは、お見舞いには?」

「ううん、来ないでって言ってあるの……失望させたくなかったから」

 なんとなく、彼女の気持ちがわかる気がした。
 いくつになっても、好きな人の前では綺麗で可愛い女の子でいたいものね。

「……私もね、いろいろあって結婚式が中止になっちゃったの。おまけにウェディングドレスはボロボロで、踏んだり蹴ったり」

「え、お姉さんも?」

 エミリさんは私が同じ境遇だと知って驚いたのか、顔を覆っていた手を外して見上げてくる。彼女のこんなところに仲間がいたなんて、という驚きと感動がない交ぜになった表情にふふっと笑った。
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