異世界で、なんちゃって王宮ナースになりました。~王子がピンチで結婚式はお預けです!?~
▼1話 幕開け
アイドナとサバルドの町のいざこざが落ち着いたのは空が濃紺に染まり、星や月が顔を出す頃だった。
町境に幕舎を設置し、交代で見張りを立てて町民同士の争いが再び起こらないよう監視している。その幕舎内で今日知り得た情報を共有するため、私は治療班の代表として医師のマルクと共に会議に参加していた。
「小競り合いの発端はアイドナ産リンゴを食べたサバルドの町民が次々と腹痛を訴えて倒れたことが原因らしい」
金の肩章がついた紺の軍服、その上から月光十字軍の紋章が刺繍された丈の長い白のマントを身に着けているシェイドが腕を組みながら報告を始めた。
この大国エヴィテオールの第一王子、ニドルフ・エヴィテオールが父である国王と第三王子であった弟のオルカ・エヴィテオールを殺害したことで、王位継承権を持つ者は彼とシェイドだけとなった。
しかし、二ドルフ王子はシェイドとの二度目の王位争いに負け、国に圧政を強いて他国との戦争を引き起こした罪で王宮の地下牢に捕らえられている。
つまり、現在エヴィテオールの王権を握っているのはシェイドただひとりだ。
王になるには妻を娶らなければならないというしきたりがこの国にはあり、私とシェイドが結婚すればいいだけの話なのだが、なにかとお互いの仕事が忙しくて式の日取りを決められずにいる。
「マルク、若菜。サバルドの町民は口を揃えてアイドナの民がリンゴを使って毒を盛ったのだと証言している。治療班の目から見て、此度のサバルドの民に見られた症状の原因には他にどんなものが考えられそうだ?」
シェイドは夜空色の髪を揺らし、月のような琥珀の目を向けてくる。浮世離れした美しさを持つ彼はまだ二十五と若いのに、よく頭が切れて頼りがいのあるパートナーだ。
私はシェイドの言葉に頷いて、サバルドの患者の多くが腹痛や下痢、嘔気を訴えていたのを思い出す。
「サバルドの患者は症状だけでみると、食中毒に似ているわね。話を聞くと、二週間前から発症しているみたいなの」
「おかしいですね、アイドナでは食中毒症状の患者はいませんでした。アイドナ産のリンゴなら、彼らも普通に食しているはずなのに……」
そう答えたのはアイドナの町に行っていたマルクだ。
ふわふわとした桃色の髪にアーモンド色の瞳をした彼は十五歳にして、エヴィテオールの王宮医師を努めている。
出会った頃は新米で余裕がなく焦っていることが多かった彼も今では堂々としていて、新人看護師にも積極的に医術を教えたりと立派な医師だ。
「それに付け加えると、サバルドの人たちはリンゴは箱から開けてすぐに食べたらしいから、腐ってたわけじゃないらしいよ」
小学生の授業のように手を挙げて意見を述べたのはローズさんとは別部隊の月光十字軍第二部隊騎士隊長のひとり、アスナ・グランノールさんだ。私と同い年で、彼の身に着けている白の軍服には新緑の短髪と同色のマントがついている。
中央で分けられた前髪の下にあるアメジストの瞳は、彼の調子がよくて本心なのか冗談なのか掴みずらい蠱惑さをいっそう表していた。
「マルクやアスナさんの話を聞いていると、リンゴは関係ないのかもしれないわね。例えば、そのリンゴを作る過程……土とか、洗ったときの水に問題があったのかも」
ふたりの報告を頼りに導き出した仮説を口にすると、ローズさんは面倒そうに自身の髪を手で梳く。
「なら、当分の間は町境での監視と毒の正体を探ることになりそうね。さっさと解決して、お風呂に入りましょ。薄汚れたまま、数日を過ごすなんて気持ち悪いもの」
町民同士の争いを鎮圧してきたあとなので、ローズさんの肌と服は砂埃や煤で黒くなっている。ローズさんからしたら、虫唾が走る勢いで最悪なコンディションなんだろう。
あとで、濡れた手ぬぐいでも用意してあげよう。
そう思っていると、じっと黙って皆の報告を聞いていたシェイドは考えがまとまったのか最終的な指示を私たちに与える。
「もう少し町民から話を聞いて、土壌や水質の調査をしよう」
「ええ。念のため、私たちもこの町の食物や水を摂取しないようにしましょう」
念のため注意を促すとシェイドはどこか満足げに口端を持ち上げ、私の手を掬うようにとる。
「さすがはこの国きっての優秀な看護師長だ。あなたの言う通り、食していいのは持ってきた物資だけにするとしよう」
敬意を表すようにそのまま甲に口づけてくるシェイドに、私は慌てて手を引っこ抜く。彼は明らかに落胆した眼差しを注いできたので、気まずくて視線を逸らした。
「ほ、褒めてくれるのは嬉しいけど、言葉だけで足りてるわ」
なにを考えてるのよ、シェイドは。
結婚が正式に議会で決まってからというもの、彼のスキンシップは気の知れた月光十字軍の皆さんの前で人目をはばからなくなっている。まだ婚約中でしかないのに節度のない態度を見られたりしたら、困るのは私ではなくシェイドのほうだ。
「若菜は慎ましやかだからな、そういうところも気に入っている」
懲りずにふっと微笑むその顔が数時間前に森で会ったあの銀髪の青年に重なって見えて、私の目は釘づけになる。
あの子が笑ったら、こんなふうに柔らかな笑顔を見せるのかな?
どこか、孤独を纏ったような青年だった。それをほっとけないと思っている自分に戸惑っていると、シェイドが心配そうに尋ねてくる。
「どうした、考え事か?」
「あ……ごめんなさい。会議の途中でボーっとして。なんでもないわ」
笑って誤魔化したのだけれど、シェイドは納得していなさそうだった。それでも追及してこなかったのは、きっと私が言いたくないことだと察していたからだ。
彼の気遣いに救われた私は誰がどの調査に当たるのか、再開した話し合いに参加しつつも青年のことが脳裏から離れずにいた。