異世界で、なんちゃって王宮ナースになりました。~王子がピンチで結婚式はお預けです!?~
「――だから囮の部隊を編成し、門前で派手に暴れている間に裏手から別部隊が潜入、内側から敵を壊滅させる」
エドモンド軍事司令官の声に、私は改めて集中する。
門前は大砲や弓兵の恰好の的になるので、今回の作戦で最も危険なのは囮の部隊だ。潜入部隊の失敗は囮部隊の生死に直結する。
逆に囮部隊が保身のために引きすぎれば潜入部隊はすぐに見つかり、今回の作戦は失敗に終わる。攻めと引き際を正確に判断できる者が求められるが、そこで名乗りをあげたのはダガロフさんだった。
「その囮は俺が引き受けよう」
「ああ、あんたなら囮以上の働きが期待できるな。もし、刻限まで戦況が変わらなければ、引いていい」
満足げに目元を緩めたエドモンド軍事司令官に応えるように、ダガロフさんの切れ長のゴールドアイが闘志に煌く。
「ああ。だが、できる限りは粘ろう。潜入部隊には――」
「あ、はいはーい。潜入は俺の専売特許だから、俺もそこに入れて」
ダガロフさんの言葉を引き継ぐような形で、アージェが手を挙げて立候補する。
もともと言挙げするつもりだったのか、ダガロフさんも首を縦に振る。
「ああ、隠密のアージェならば適任だな。だが、そうなると若菜さんの護衛がいなくなる。代わりに月光十字軍の中でも精鋭の兵を置くことにしよう」
囮の部隊には人員が必要なはずなのに、ダガロフさんは私の護衛に兵をつける気でいる。援軍として来たというのに、私のために戦力を割くなんてもってのほかだ。
「護衛は必要ありません。私は潜入部隊について行きます」
私が看護師として戦える場所は恐らく潜入部隊だ。レジスタンスに占領された砦内で、ミグナフタ国の兵士や看護師たちが無傷である可能性は低い。
実際に捕虜の扱いがどんなものか、私はエヴィテオールの王宮奪還作戦の行軍の際に目の当たりにしている。
あのときは月光十字軍と一緒に連合軍として参加していたミグナフタ兵がニドルフ王子についたエヴィテオール兵の捕虜に、仲間を殺したからと縛られた状態で殴る蹴るの暴行を与えていた。それも顔の形が歪み、血が出るほどだ。
あの惨劇が捕虜になったミグナフタ兵や看護師たちに降りかかっているかもしれないと想像すると、居ても立っても居られない。
だからといって、私以外の看護師たちを潜入部隊には連れていけない。王宮看護師長として他の看護師たちの安全を確保するのも私の役目だからだ。ゆえに行くとしたら自分しかいないだろうと思ったのだが、その場にいた全員が唖然としていた。
時が止まったのかと錯覚しそうになったとき、エドモンド軍事司令官がいちばんに我に返る。
「……は? 王子の婚約者だろ、お前。ついてくる気かよ」
「砦にいた兵からの連絡は途絶えているんですよね? なら、砦にいたミグナフタの兵は動けない状況にいるってことだわ。すぐに治療しなければならない人だっているかもしれないし、同行させてください」
「俺がシェイドに殺されんだろうが、却下」
「大丈夫よ。今のシェイドにとって、私はただの王宮看護師長でしかないから」
幸か不幸か結婚式は中止になった。これでシェイドは記憶を失う前の婚約者……私に縛られなくて済む。私にとってのシェイドはひとりしかいないけれど、記憶を失ってからのシェイドにとっては過去の自分は別人に思えるだろう。
だからといって王子という役目からは逃げられない。彼の背負うものを少しでも軽くできるのなら、私の恋心は胸の奥に封じ込めたっていい。
……なんて強がっては見たけれど、本心は誤魔化せないらしい。辛さから目を背けるな、と言わんばかりに胸が重苦しくなり、自嘲的に笑った私にエドモンド軍事司令官は押し黙る。それを達観していたシルヴィ先生は面倒くさそうに頭を掻いた。
「エドモンド軍事司令官、こいつは一度言ったら聞きませんよ。それに悔しいですが、腕は俺よりも上ですしね」
諦めと呆れが混じった物言いではあるが、シルヴィ先生の言葉は信頼ゆえに賛同してくれているのだとわかった。
私の性格はエドモンド軍事司令官も理解しているのだろう。本日二度目の舌打ちをしたあと、心底気が進まない様子ではあったが頷く。
「わかった、わかった。あの王子ですら制御できねぇじゃじゃ馬の手綱を俺がどうこうできるわけないだろ」
「馬……」
私って、エドモンド軍事司令官からすると馬だったんだ。
顔を引き攣らせていると、アージェが口元を押さえながら「ぷぷぷぷぷっ」と堪えきれていない笑いをこぼす。
その隣でシルヴィ先生は「ぴったしじゃねえか!」と一緒になってからかってくるが、ダガロフさんが「俺の天使に無礼は許さん。即刻訂正してくれ」と見当違いなフォローをしてふたりを絶句させている。
一方、騒がしい彼らを総無視したエドモンド軍事司令官は私の顎を片手で掴んで修羅の形相を近づけてくる。
「連れてってはやるが、出しゃばるな。俺の背に隠れていろ、いいな? わかったか?」
間髪入れずに念を押してきたエドモンド軍事司令官は渋々ではあるが、私を潜入部隊に入れてくれたのだった。
翌朝、さっそく作戦は決行された。
ダガロフさん率いる囮部隊の陽動によってレジスタンスの意識が砦の門前に集中しているうちに、私とアージェはエドモンド軍事司令官の潜入部隊に加わって警備が手薄になった砦の裏手から内部へ潜入する。
すると、廊下の至る所にミグナフタ兵が倒れていた。
シルヴィ先生はうつ伏せになっているミグナフタ兵のそばに膝をついて脈をとったあと、首を横に振る。
「くそ……っ、手遅れだ」
片づけられることもなく、ただゴミのように放置されている人の山を見たアージェは胸糞悪そうに蔑笑を浮かべる。
「じゃあ、廊下の先までゴロゴロ転がってるのはミグナフタ兵の遺体?」
酷い……気持ち、悪い。
遺体の山に吐き気がして、私は口元を手で覆う。
死人なら嫌になるほど何度も見てきたのに、いまだに慣れない。特に病気ではなく殺された遺体に関しては直視するのが怖い。
それでも、ここへ来たからには自分のすべきことをしなければと深呼吸した。心を静めてから、私は遺体を確認する。
「見たところ嘔吐の痕があるわね。外傷はほとんどないから毒を飲まされたか、吸引したかして亡くなったんじゃないかしら」
死人に口なしとは言うけれど、遺体には死の真相が必ず残っている。
考えつくのは毒を飲まされた兵士たちが助けを求めて自室を出て廊下で息絶えたか、レジスタンスが「敵兵だ」と騒ぎを起こして兵士たちが廊下に出るよう仕向けたあと、そこで毒ガスを撒いて殺したかだ。
どちらにせよ、やり方は夜襲よりも残酷で卑怯だ。
エドモンド軍事司令官はギリッと奥歯を噛み鳴らし、腰に差しているロングソードの柄を握りしめる。