異世界で、なんちゃって王宮ナースになりました。~王子がピンチで結婚式はお預けです!?~

「先を急ぐ、ついてこい」

 いちばん悔しいのは彼らの直属の上司であるエドモンド軍事司令官だろう。それでも仲間の死を悼むより、遺体を弔うより、優先させるべきことを見失わずに前を見据えている。

 その姿に背を押された私たちはローブの男たちを倒しながら、慎重に主犯者がいそうな作戦会議室を目指して進んでいく。
 すると前から「助けてください」と声をあげて、六、七歳くらいの男の子が駆け寄ってきた。

 その子の珍しい青緑色の髪とコバルトの瞳になぜか既視感を覚えてじっと見つめていると、エドモンド軍事司令官とアージェが即座に前に出る。それから容赦なく武器を構えたので、私は慌てた。

「待って、その子は子供よ!?」

 武器を下させようと黒装束を引っ張ると、振り返ったアージェが呆れ交じりに笑う。

「若菜さんは甘いなあ。この子、血の匂いがぷんぷんしてるよ。それにあの目、人を殺したことがあるヤツの目だ」

「そこの隠密のガキの言う通りだ。状況からして、砦で身柄を預かった行き倒れの兄弟が主犯の可能性がある。それが目の前の子供だとしたら、気を抜くと痛い目見るぞ」

 引っ込んでろ、とエドモンド軍事司令官の視線が物申している。出発前に出しゃばらず、彼の背に隠れていることが連れて行ってもらう条件だったのを思い出して、私は引き下がった。
 でも、男の子は胸の前で両手を握りしめると涙声で訴えかけてくる。

「怖いよ……お兄さんたち、どうしてそんな物騒なものを向けてくるの?」

「よく言うぜ、ガキ。お前が駆け寄ってくるとき、わずかだが金属音がした。そっちこそ、ローブの内側に物騒なモンを隠してんじゃねぇのか?」

 警戒を緩めず鋭い視線を向け続けるエドモンド軍事司令官に、怯えていた男の子は俯く。それからクスクスと声をもらして、上げられた顔にはみるみるうちに黒い笑みが浮かんだ。

「あーあ、そこまでバカじゃなかったかあ」

 数秒前まで殊勝な態度をとっていた男の子は悪びれもせずに皮肉を言う。その瞳に冷酷さが映り込んだとき、私の頭の中に崖から落ちたあの瞬間が蘇る。

「あなた……私とシェイドを崖から突き落とした……子よね?」

 全身に汗が流れ、歯が金物のようにガチガチと鳴るのに合わせて声も震える。

 私とシェイドの命を奪おうとした人間が目の前にいるというだけで、刃物を突きつけられているのに似た戦慄を感じた。
 男の子は私の恐怖心を煽るように冷酷な目を光らせて、唇に歪な弧を描く。

「やっーと、思い出してくれたんだ。あのときは仕留め損ねちゃったけどね、今度はちゃんと逝かせてあげる。ね、オッターヴォ兄さん?」

「そうだな、ノーノ」

 背後から声が聞こえて一斉に振り返ると、一気に兵が薙ぎ払われる。壁に叩きつけられた兵たちは腹部に深い切り傷を受けており、その中央には二十代半ばくらいの男が鎌を持って立っていた。

 私やシェイドを突き落とした男の子――ノーノと同じく、オッターヴォと呼ばれた青年は青緑色にコバルトの瞳をしている。

 全員の意識がオッターヴォに向いたとき、カチッと金属音が鳴る。再びノーノへ視線を戻すとショットガンの銃口がこちらを狙っていた。

 チッと舌打ちをしたエドモンド軍事司令官とアージェが私に覆い被さり、すぐに銃声が響く。銃弾が飛び散り、私を庇ったふたりが同時にうめいた。

「ぐっ……こんな狭い廊下でよく散弾銃なんて撃てるな。壁に跳ね返ったらどうすんだよ」

「エドモンド軍事司令官! どうして庇ったりなんか……あなたは軍事司令官でしょう!? あなたが動けなくなったら、意味ないっ」

「耳元で喚くんじゃねぇ……」

 起き上がろうとする彼の身体にとっさに手を添えれば、服に滲んだ血が手のひらにべっとりとつく。
 こんなに出血が……。他にも右の腕や足に銃弾を受けたのか、クリーム色のワイシャツに赤い染みが滲んでいる。

「動いてはダメです。止血しないと」

「そんなん……あとにしろ」

 傷口を手で押さえたが、エドモンド軍事司令官が私を押しのけて立ち上がる。それに続くようにして、アージェも上半身を起こした。

「あー、痛いんだけど。若菜さんは生きてる?」

「……っ、アージェ、あなたも痛いところはない?」

「はは、質問に質問で返さないでよ」

 苦笑いしたアージェは涙目になっている私の頭を軽く撫でて、立ち上がる。

「隠密のガキ、お前はそこの女連れて退却しろ」

「ちょっと、役職で呼ぶのやめてよ。アージェだよ、アージェ」

「どうでもいい、さっさとしろ」

 敵を睨み据えたまま、ふたりは今後の動きを話し合っている。
 目の前に立つふたりの背中を見上げたら、自然と恐怖に震える心が落ち着いてきた。

 今、自分にできることはなんだろう。エドモンド軍事司令官は内部から砦を落とすのは無理だと判断して、私を逃がそうとしている。

 でも、私を護衛しながらでは時間がかかる。それではダガロフさんのいる囮部隊に撤退を知らせるのが遅れる。
 騒ぎを聞きつけたレジスタンスたちにも囲まれ、こちらの兵はショットガンの餌食になりまともに動けない。

 でも、アージェひとりなら……。
 考えを巡らせた末に、それが最善の策だと決断して立ち上がる。それから「アージェ」と名前を呼べば、彼は瞬時になにかを察したらしく露骨に眉をひそめて渋面を作る。

「また俺だけ逃がす気? 言っておくけど、今度ばっかりは聞けないよ」

 彼の言う〝また〟とは、まだニドルフ王子と対立していた頃のことだ。エヴィテオールの王宮でふたりでいたときに襲われ、私はシェイドに知らせるためにアージェだけを逃がしたのだが、それを根に持っていたらしい。

「あのね、アージェ。私は逃がすとかじゃなくて……」

「若菜さんの言いたいことはわかってる。俺ひとりならここから抜け出す時間は短縮できるし、囮部隊を早く引かせられるからね。被害は最小限にできるって言いたいんでしょ。でも、本当に俺らしくないけど……心が追いつかないんだよ」

「アージェ、それでも動けるのはあなたしかいないの。あなたにしか頼めない」

「……っ、本当に、あんたって人は無茶苦茶だね」

 唇を噛んでから苦しげにそう言ってアージェは身を翻すと、そのまま目にも止まらぬ早さでレジスタンスの男たちの隙間を縫うように駆け抜けた。

 レジスタンスの数人はアージェのあとを追ったが、彼の足に追いつけはしないだろう。
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