異世界で、なんちゃって王宮ナースになりました。~王子がピンチで結婚式はお預けです!?~
「この注射器の柄の部分を引いて、胃の内容物が吸引できれば管が胃に入っている証拠。これで白湯とさっき作った流動食をゆっくり注入していく。ノーノ、こっちに来て」
「う、うん……」
私は戸惑いながらも隣にやってきたノーノの後ろに立ち、注射器を持たせる。その手の上から一緒に注射器を支えつつ、柄を親指で押した。
「ここの、注射器と管の接合部分をしっかり手で押さえて、こうやってゆっくり柄を押してみて」
「こう?」
「そう、上手だわ。これからはあなたがお兄さんに食事をあげてね。それで、何度も話しかけてあげて。今のオッターヴォには刺激がなにより大事なの」
いつ目覚めるのかはわからないけれど、好きな音楽を聴いていたら目が覚めたとか、化学では証明できない奇跡が起こる事例はよく耳にする。オッターヴォの場合はまだ呼びかけに反応があるので、覚醒する可能性は十分にあった。
私はその希望を守りたい一心で指導をしていると、ノーノがぽつりと呟く。
「オッターヴォ兄さんと僕は貴族の奴隷だったんだ」
「奴隷……」
クワルトは貴族に赤ん坊のときに捨てられ、ノーノとオッターヴォは奴隷だった。
他者に命を握られるという点で似通った境遇にあった彼らの過去を知って、私はやっぱりレジスタンスの全てを悪とは思えなかった。
「僕とオッターヴォ兄さんは変わった髪色と目をしてるだろ?」
「ええ、すごく綺麗な青緑色にコバルトの瞳をしているわね」
「僕には忌々しいだけだけどね。貴族様はこれがお気に召したみたいで、僕たちをガラスケースに入れて飼ってたんだよ」
ガラス、ケースに入れて……?
耳を疑うような扱いに言葉を失っていたのは、私だけではなくシルヴィ先生やアージェも同じだった。
ノーノは予想通りの反応だったのだろう。固まっている私たちを見ても顔色を変えない。
「毎日毎日、食事が与えられるだけで自由なんかない。あいつらからしたら美術品と大差なかったんだと思うよ。ここで一生を終えるのかって絶望したとき、僕らの噂を聞きつけたプリーモが迎えに来てくれたんだ」
「じゃあ、あなたたちを監禁してた権力者は……」
「プリーモが殺してくれた。そのおかげで自由を取り戻せたから、僕たちはプリーモの理想を叶えたいんだよ」
クワルトもそうだけれど、レジスタンスの幹部たちは恩義や仲間を大事にする。
でも、そんな温かい心があるのに仲間以外の人間には優しくない。それは彼らが自分たちの周りに自ら檻を築いてしまっているからではないだろうか。
「私は……どんな悪人だろうと奪われていい命はないと思ってます。だけど、あなた方は私の知りえない世界の闇を知ってる。だからきっと、私の考えが甘いだと思う。それでも……罪は法の下で裁かれてほしい。でないと、奪い奪われる連鎖は永遠に続くから」
憎しみが消えない限り……ずっと。
部外者のくせに好き勝手に言うなと責められるのを覚悟して、ノーノからの答えを待っていると返ってきたのは予想外なものだった。
「あんたの考えは甘いと思うけど、理解したい……とは思う。あんたにとって僕は仲間を殺した悪人でしょ。でも、助けてくれた。僕にとっても兄さんにとっても命の恩人だから」
「ノーノ……確かにあなたは罪人かもしれない。でも、看護師である私にとって、あなたたちは大事な患者でもあるのよ」
私が看取った兵のことを思えば、罵るくらいすべきなのかもしれない。彼らがどんな想いで逝ったのかを知っていながら、私がとった行動は遺族からしたらきっと罪にも値する。
けれど、私は看護師だ。どんな罪科を背負っていようと命は等しく平等で、過去も人種もなにもかも差別の対象にはなりえない。それは私の根底にある看護観で、絶対にぶれたくない軸でもある。復讐や私情で、私は命の重さに違いをつけたくないのだ。
「うん、あり……がと」
小さなお礼をくれたノーノは目を伏せて、食事を終えたオッターヴォの手を握る。
その光景を眺めながら、彼が大事な人を失うような残酷な結末にはなりませんようにと心から願った。
早く目覚めてあげて、オッターヴォ……。
心の中で祈っていると、ノーノが縋るように私を見上げる。
「あのさ、オッターヴォ兄さんは大丈夫かな」
「何年、何十年かかっても、あなたがオッターヴォの命を諦めない限り希望は続くわ」
「そっか、僕にできるのかな」
「あなたはひとりじゃないもの、疲れたら支えてくれる誰かがいるし、泣きたくなったら寄り添ってくれる誰かもいる」
この地で彼の味方である人間は少ないだろうから、少なくとも私はノーノにとってそういう存在であろう。
そう心に決めたとき、ノーノは「敵なのに?」と呆れ交じりにぎこちなく笑って肩を竦めている。
「あなたがしたことは許せない。でも……あなたが兄を思う気持ちは応援したいの。この答えで納得してもらえる?」
「……綺麗事を並べられたらどうしようかと思ったけど、そうやって正直に言われたほうが信用できるよ」
「ノーノ、レジスタンス以外にも信じられる人がいるってこと、私はあなたたちに知ってもらいたい。だから、頑張るわ」
それが今の私がレジスタンスの人たちにできることだと意思表示すれば、ノーノは瞳を潤ませて無言でごしごしと目元を服の袖で拭っていた。
「お前んとこの、人間たらしは国宝ものだな」
ふいに聞こえた声の方角へ視線を向けると、戸口に立っているエドモンド軍事司令官が呆れたように後ろにいるシェイドを振り返っている。
「月光十字軍いわく、うちの王宮看護師長は天使様らしいからな」
私たちの会話を聞いていたのだろうシェイドとエドモンド軍事司令官が部屋に入ってくると、ノーノの顔が強張った。
対するシェイドとエドモンド軍事司令官は敵であるノーノを前にしても、不快な顔ひとつせずに私たちのところへやってくる。
一度助けると決めたら過去を掘り返さないその潔さに、私も見習わなければと思っているとシェイドが目の前に立つ。
「俺は一足先にエヴィテオールに帰るが……」
「大丈夫よ。これは私がやると決めたことだもの」
私はミグナフタ国のこの部屋でノーノたちを看護し、目覚めるまでは責任をもって面倒を見るようロイ国王から命を受けている。
オッターヴォが目覚めるまでに何日、何ヶ月、何年かかるかはわからないので、無期限の出張業務だ。
それも覚悟の上だと頷けば、エドモンド軍事司令官は腕組みをして呆れたというように宙を仰ぐ。やがて、上向いたまま視線だけをシェイドに投げた。