異世界で、なんちゃって王宮ナースになりました。~王子がピンチで結婚式はお預けです!?~
「当日は万が一のことがあったら大変だし、お義母様のそばに看護師をつけようと思うの。お義母様の気持ちがせっかく外に向いているのに、これ以上心労をかけたくないわ」
お義母様がずっと部屋にこもっていたのは人が怖いからだ。それもそのはず、王宮で第一王妃にいびられるだけでなく毒殺までされかけたのだ。
トラウマになるような出来事を与えてはいけない、と強く思ったら言葉に出していたらしい。
「ああ、それは安心だな。俺も護衛を兼ねたエスコート役にダガロフをつけようと思っている」
「それは名案ね。なんにせよ、お母様が初めて私たちの前に姿を見せてくれるんだもの。心健やかに過ごしてほしいわ」
ドレスも選ばず執務室でした作戦会議の延長線のように話し込んでいると、部屋の入り口から声が聞こえた。
「あのさ、おふたりさん」
シェイドと同時に戸口に視線を向ければ、呆れ交じりに苦笑いしているアスナさんがいる。その隣にいるローズさんは腰に手をあてて、噴火寸前の火山の如く顔を真っ赤にしていた。
「心配になって来てみれば……真面目にドレスを選びなさいよ! 厳選に厳選を重ねて、王子が好きそうなものを手配したのにっ」
「いや、なんでお前が気合いを入れているんだ……。すみません、止めたんですが、こいつらが様子を見に行くってきかなくて」
主役より熱の入っているローズさんに、ダガロフさんは我が子のしでかした悪事を代わりに謝る父のように何度も頭を下げてくる。
「パパの心労がますます増えるから、ちゃっちゃとドレス選んじゃってよ」
「アージェ、誰がパパだ。誰が……」
彼らがいるだけで部屋が賑やかになり、私たちは主にローズさんに見張られながら強制的にドレスを選ばされる羽目になった。
改めてドレスに向き直ると、シェイドはドレスと私を見比べる。
「そうだな、あなたの艶やかな黒髪と意思の強さには……」
「赤が似合う?」
前にミグナフタ国の宴で彼にそう言われたのを思い出して、くすくす笑いながら尋ねればシェイドは「驚いたな」と目を瞬かせていた。
「このやり取りは、前にもしていたのだろうか?」
「ええ、耳飾りとペンダントはサファイアだったわ」
「ああ、その意味ならわかる。きっと俺は今も昔もあなたを独占したくてたまらなかったんだろう。サファイアは俺の髪色と同じだからな」
あれって、そういう意味だったの!?
記憶のないシェイドがここまで自信満々に言い切っているのだから、そうだなのだろう。それに嫉妬深くて独占欲が強い彼なら、やりかねない。
なくなったはずの過去が新たな思い出として重なり交わることが嬉しくて、私は真剣にドレスを選んでくれるシェイドの横顔を見て小さく笑みをこぼした。
一週間後、エヴィテオールの王宮から馬車で一時間のところにある別邸で密かに婚約記念パーティーが開かれた。
来賓は主にエヴィテオールの重臣や領主である貴族で、この国を動かす者たちだ。
私はシェイドのエスコートで会場の中央にある大階段の前まで行くと、そこから濃紺の長髪に琥珀の瞳をした女性が降りてくるのを見上げた。
四十代とは思えないほど透き通った瑞々しい肌にすらっとしたウエストや手足、誰もが息を呑むその美女は礼装に身を包んだダガロフさんにエスコートされている。
会場には「アイリーン様だ……」「公の場に出てくるのは何年ぶりだ?」「お美しい」とつぎつぎに小さく声があがる。騒ぎが起きないのは誰もがお義母様の纏う清廉な空気を無粋な歓声で汚してはならない、と思うからからかもしれない。
お義母様は言葉を発することはなかったが、ドレスの裾を摘み、優雅な仕草でお辞儀をしてみせた。それに来賓の方々が「おおっ」と感嘆をもらす中、お義母様は私とシェイドの前に辿り着いた。それと同時にダガロフさんは少し下がった場所で待機する。
恐らく、家族水入らずの時間を作ってくれたのだろう。
「シェイド、今のあなたには受け止めるのは難しいでしょうけれど、私はあなたの母です」
記憶がないシェイドがアイリーン様と面と向かって会うのは、これが初めてになる。
母であることは事実として知っているだけで思い出は残っていないシェイドだが、首を横に振ってお義母様の手を掬うように取るとその甲を自分の額につけた。
「受け止めるのが難しいなどと、そのようなことはありません。あなたが俺のたったひとりの母であることはなにがあろうとも変わらない」
「……っ、ありがとう。それから……」
涙ぐんでいるお義母様は私に視線を移し、耐え切れずといった様子で大きく一歩を踏み出すと首に抱きついてくる。
「あなたに会いたかったの。いつも、扉越しに話しかけてくれてありがとう。私の大事なシェイドを愛してくれて……本当にありがとうっ」
お義母様は見た目の洗練された美しさとは対照的に、感情豊かでどこか無邪気さのある女性だった。
「私もこうしてお顔を拝見することができて嬉しいです。シェイドはお義母様に似たんですね」
「ふふっ、中身は似なかったのよ? 頭がいいのと、感情が表に出ないところは国王に似たわね」
ああ、お義母様は王宮の庭園に咲く薔薇の女王、ダマスクローズにも劣らない華やかで神々しく微笑むんだな。
一見、野花のように親しみを感じるが、その品のよさは明らかに薔薇だった。
「あの、お義母様。改めてお礼を言わせてください。私たち仕事ばかりで自分たちのことには鈍感なので……。お母様がお祝いしてくれるって言ってくれたとき、すごく嬉しかったんです。祝福される幸せをありがとうございます」
感謝の気持ちを込めて深々と頭を下げれば、お義母様が少しだけ私から離れる。
「私はこの王宮に自分の味方なんて、いないんだって思ってた。でも、違ったのね。あなたやシェイドがいてくれる。そう気づいたから、幸せを貰ったのは私のほうなのよ」
「お義母様……これからはシェイドと私が力になります。だからたくさん生きて、もう二度とできないと思っていた親孝行を私にさせてください」
「そうだったわね……あなたのご両親は遠くにいるんだったわね」
扉越しにお義母様と話をしているうちに日本から来たとは言えなかったのだが、簡単に辿り着けない場所の生まれであると伝えた。そこで両親の話もしたのだが、忘れずに覚えていてくれたらしい。