異世界で、なんちゃって王宮ナースになりました。~王子がピンチで結婚式はお預けです!?~
「くっ……痛みで意識が吹っ飛びそうだ」
「シェイド! そんなっ、そんなふうに剣を振るったりしたら、傷が……っ」
その肩を手で直接止血する。本来なら素手で血に触れるのはご法度。その人が感染症を持っていたら、血液感染する可能性があるからだ。
医療者なら誰しも知っている原則ではあるが、そんなこと頭から完全に抜け落ちていた。シェイドの命が救われるならその程度のリスクはいくらでも受け入れられる。
けれど、シェイドの意識は出血のせいか朦朧としている。
「シェイド、私の声が聞こえる? シェイド……っ」
名前を呼べば、定まらない視点が必死に私の姿を捉えようと彷徨っていた。私はその頬を両手で包み込み、死なせてはいけないという警報に突き動かされるまま叫ぶ。
「死なないと、生きてみせると、強く気をもって! あなたは皆の希望、死んだらあなたを信じてついてきた人たちの思いはどうなるの? 私は……私のために……生きてっ」
助けたい一心で泣きながら叫ぶ私に、シェイドは肩で息をしながら笑う。
「妻を守って……なにが悪い」
「こんなときに強がらないで!」
目の前が涙でぼやける。自分でもよくわからず怒鳴ると、瞬きをするときだけ視界が鮮明になり、そこで見えたのはなぜか清々しいシェイドの微笑みだった。
「今まで……忘れていた自分を殴りたい気分だ。全て思い出した……あなたとの出会いから重ねてきた時間、全部」
「全部って……崖から落ちる前のことも、全部?」
「ああ。あなたと初めて出会ったとき、俺がここで死ぬのかって聞いただろう? あのときの言葉が……俺に生きる希望をくれた」
それは私がこの世界にトリップしてきてすぐのことだ。救護幕舎に運ばれてきたシェイドを私が治療したとき、死を覚悟したようなうつろな瞳をしていた彼に言ったのだ。
『死なないと、生きてみせると、強く気を持ってください。あなたは皆の希望なのでしょう? 死んだら、あなたを信じてついてきた人たちの思いはどうなるのです!』
『生きて、そのために私も諦めませんから』
それはたった今、彼にかけた言葉と重なっていた。もしかしたら、記憶を呼び起こすトリガーになったのかもしれない。
「若菜、もう一度誓わせてくれ」
シェイドはとても動ける状況にはないのに、サーベルを片手に立ち上がる。
「このシェイド・エヴィテオール……あなたを生涯かけて、全身全霊で守る」
出会った頃の約束をもう一度してくれるシェイドに、私はちゃんと彼の記憶が戻ったのだと実感わいた。
「そのために、ここでレジスタンスの革命を食い止める。だから若菜、もう少しだけ無茶を許してほしい」
国のため、仲間のため、母親のため、私のために戦うこの人を止めることはできない。止められるはずがない、だって彼はエヴィテオールの光――王子なのだ。
だったら私は……彼が想像より早く果てる日が来るのかもしれなくても、覚悟を決めて限られた時の中で精一杯あなたを愛そう。
もちろん簡単に死なせたりはしないけれど、その〝いつか〟が来てしまったときに情けなく泣きわめいたりしないように王子の妻として心を強くもっていよう。
「シェイド、行ってらっしゃい」
「ああ、すぐに戻る」
シェイドはプリーモに向き合うと、長い息を吐きながらサーベルを構えた。会場ではレジスタンスと騎士たちが各々戦っているが、シェイドの周囲は時が止まっているかのようにざわめきが遠のいている。
「エヴィテオールの王子。お前を討ち取り、この国を我らレジスタンスの創世の足掛けとさせてもらう」
「お互いボロボロだ。手短に済ませよう」
踏み込んだのは同時だが、シェイドは相手を上回る俊敏さで大剣を振り上げたプリーモの腹部を浅く横に薙ぐように斬りつける。プリーモは大剣を落とし、数歩後ずさると食事の並べられた飾り棚にぶつかった。
「こんなところで、折れるわけには……いかない、というのに……」
追い詰められたプリーモに真っ先に気づいたサイが、対峙していたエヴィテオール兵を押し切って駆け寄る。
その上半身を抱き起して「先に逝くなど許さん!」と叫ぶサイに、プリーモは閉じかけていた目を開けた。
「覚えているか……サイ……。忌々しい貴族から依頼を受けて、暗殺を強制させられていたときのことを……」
「ああ、この火傷の痕が癒えぬように生涯忘れるはずのない遺恨だ」
「毎日、殺して殺して……シャワーを浴びても血の匂いが消えなかった……あの日々を抜け出すために俺たちは貴族を殺し、邸に火を放ち、その中を逃げる途中で火傷を負った」
ふたりの顔にある痛々しいまでの火傷の痕には、そんな過去が隠されていたのか。初めて知ったのは私たちだけでなく、他のレジスタンスの幹部たちもだったらしい。
驚きと共感が合わさった形容しがたい表情をして、プリーモを見守っている。
彼らの夢見た革命の動機や同じ境遇であった孤児を助けた理由がわかり、たとえこの場にいた人たちを傷つけたのだとわかっていても、どうしても責められなかった。
これまで出会ったレジスタンスの幹部の過去を知ったシェイドは、立っているのもやっとだというのに毅然と彼らと相対する。
「あなた方が受けた仕打ちを思えば、間違った権力の使い方をした者の罪は重い。だが、あなた方の報復に巻き込まれた無実の民もいた。力で捻じ伏せるのは権力者と同じだ」
「俺たちが貴族と一緒だと!?」
サイが激高すると、広間の扉が開いて息を切らしたクワルトが中へ入ってきた。その顔は切羽詰まっており、血だらけのプリーモを見た途端に即座に走り寄る。
駆けつけたクワルトに、サイは想定外という顔をした。
「クワルト、どうしてお前がここにいる。お前は反逆の疑いで謹慎しているはずだが?」
「僕と同じように罪のない人を不幸にする革命を止めたいって、手助けしてくれた人がいたから」
クワルトの視線はノーノとオッターヴォに移る。ふたりは気まずそうではあったが、意を決したようにプリーモの元へ集まる。