異世界で、なんちゃって王宮ナースになりました。~王子がピンチで結婚式はお預けです!?~
「これを排液が綺麗になるまで行います。誰か、下剤の調合をお願い」
排液を行いながら看護師たちに下剤を作らせる。本来であればここで活性炭――炭を刻んで湯に溶かしたものを注入したほうが毒素の吸収を阻害するだけでなく濃度を下げられるのだが、用意する時間がない。
そのため、下剤のみ管から投与して今度は腸内のヒ素を除去するよう務めた。
こうしてなんとか全員の胃洗浄と下剤の投与が終わった私は、身体に刺激の強い処置だったので合併症である不整脈や低血圧の症状が患者に起きてないかを確認して回る。
「皆、なんとか大丈夫そうね……。ここにはたくさん部屋が余ってるわよね。患者を部屋に運んで、この邸で経過を観察しましょう」
額の汗を拭って最後の指示を出したとき、「若菜さん!」と切羽詰まった様子で呼ばれる。急いで声が聞こえた方へ走ると、その先には青白い顔で倒れているシェイドの姿があった。
「――シェイド!」
「し、止血と抗菌薬の塗布は澄んでいます。あとは痛み止めを服用してほしいのですが、声をかけてもお目覚めにならなくて……っ」
震えている看護師の肩に私は手を載せて、「頑張ったわね。ありがとう」と声をかける。すると王子の治療の責任の重さに耐えかねてか、看護師は緊張の糸が切れたように泣きだしてしまった。
私は看護師の作った痛み止めを手に、シェイドの頬を軽く叩く。そうすると、シェイドはうっすらと目を開けて笑った。
「平気、だ……」
「シェイド……よかった。もう大丈夫よ、あとは痛み止めを飲んで」
私はシェイドの頭を腕で抱えるように、軽く上半身を起こした。痛み止めを溶かした湯が入っている吸い飲みをその口元にあてがい、ゆっくりと流し込む。
だが、シェイドはむせてしまい、薬を吐き出した。
私は最終手段で薬を口に含むと、シェイドに口づけて無理やり飲ませた。苦しいのか背けようとするシェイドの顔を両手でしっかり押さえて、無理やり唇を重ねる。やがてゴクリと喉が鳴り、顔を離した私をシェイドが見上げていた。
「……っ、は……熱烈だな」
「もうっ、からかわないで。本当に手が焼けるわ……」
私はシェイドの頭を抱きしめて、こっそり涙を流す。王子が無事に痛み止めを飲むと、その場にいた者たちが安堵の息をもらし、空気が和らいだ。
それから私たちは邸の客室を使って、毒を盛られた患者たちの看護を始めた。
早期の胃洗浄のかいあって患者たちはすぐに快方に向かったが、プリーモにはヒ素の後遺症である手足の痺れがみられた。
これではもう大剣を振えないと意気消沈しており、レジスタンスの幹部すら部屋に入れないほど塞ぎ込んでいる。
私はプリーモの体調を確認するために部屋に向かっていると、扉の前にレジスタンスの幹部たちが立っているのに気づいた。
「ねえ、プリーモが僕たちに会ってくれないのって、裏切ったから……だよね」
項垂れるノーノの肩にオッターヴォが手を載せる。ただ、かける言葉が見つからないのか、難しい顔で唇は閉じたままだった。
実はいうと、私もこの邸に滞在して三日が経ったというのにプリーモの部屋に入らせてもらえていない。頑なに人に会うのを拒否しており、眠った頃に忍び込んで診察していた。狙い目はお昼と夜なのでこうして来てみたのだが、先客がいたようだ。
レジスタンスの人たちはヒ素中毒患者の治療を手伝ったことから、現段階では拘束されていない。だが、これから議会で処罰が下ることになっている。
このままじゃ、まずいわよね。
もし刑が決まって投獄されることになれば、プリーモの心の傷を治す機会はないかもしれない。今しか看護師として、彼に関われないかもしれないのだ。
その場で引き返した私は対策を脳内で巡らせつつ、気分転換のために邸の外に出る。
頭をすっきりさせてくて森が連れてくる緑の香りを吸い込むと前から鍛錬をしていたのか、槍を持っているダガロフさんとサーベルを手にしたシェイドが歩いてきた。
「ふたりとも、お疲れ様です。シェイド、リハビリは許可したけど、激しい打ち合いは禁止よ? ちゃんと守ってね」
シェイドは出血量も多く深い傷ではあったのだが、翌日には起き上がって食事もしっかりとれているので、今日からリハビリがてら身体を動かしてもいいとは言った。
だが、節度は守る必要がある。その辺の認識が騎士の皆さんは甘く、ダガロフさんも目を負傷した際に私に隠れて鍛錬していたことがあった。
「ああ、無理をするとあなたが悲しむからな。ダガロフには手加減してもらった。だから、安心してくれ。それで、若菜はどうしてここにいるんだ?」
「あ……実は、悩んでるの」
私はプリーモが心を閉ざした理由がわからないのだと、ふたりに打ち明けた。
すると、ダガロフさんは「俺には少しわかる気がしますね」とこぼして、遠い日の記憶に思いを馳せるように青空を見上げる。
「信じていた道が過ちだと気づいたときの喪失感というのは、この世界で生きる意味などないと……そう思ってしまうくらい大きいものです」
ふいに、ダガロフさんがシェイドに敗れて目を負傷したときのことを思い出す。
自分が騎士の道から外れてしまったと、ダガロフさんは絶望感に苛まれて今のプリーモのように塞ぎ込んでいた。
シェイドも同じ考えなのか、「そうだな」と相槌を打つ。
「プリーモにとって革命は家族であり、仲間であるレジスタンスの幹部たちを幸せにするための正義ある行動だと思っていた。それを皮肉にも仲間から間違いだと気づかされ、自分が仲間を犯罪者にしてしまった……と、思ったんじゃないだろうか」
「じゃあ、プリーモは今も自分を責めているのね。あの部屋で、たったひとりきりで……」
このままじゃ、いけない。
弾かれるようにそう思った私はプリーモとレジスタンスの幹部たちの間に生まれてしまった溝を埋めるため、あることを考えつく。
「シェイド、お願いがあるんだけど」
「ああ、なんでも言ってくれ」
私はシェイドに頼んで、近くの町で色紙を用意してもらった。なにに使うのか話してもいないのに、リハビリだと言ってダガロフさんと馬を飛ばして買いに行ってくれたのだ。
私はそれを手にプリーモ以外のレジスタンスの幹部たちを空き部屋に集め、丸いテーブル席に座らせる。