異世界で、なんちゃって王宮ナースになりました。~王子がピンチで結婚式はお預けです!?~

「十一月五日、午後六時。食事摂取後、数十分で嘔吐と意識混濁。三十分後、手足の震え、痺れを訴える。四十五分後、解毒薬を傾向にて投与……」

 意識がないために口からの服薬がされず、お義母様が数日に渡り苦しんだことがわかり、経過をなぞる指が重くなる。

 最後のページには【発症時に使用していた食器が銀食器でなかったことから、ヒ素による中毒と断定】と看護師の動揺が現れたような震えた文字が綴られている。

 このとき、お義母様の治療を担当していた医師――マルクのお父さんは他界しており、看護師も今の治療館には在籍していない人の名前だったので直接尋ねることはできない。

 だが、この診療記録は何者かが毒殺を図ったと遠回しに記している。

「あれ、まだ続きがある……」

 症状が軽快し、完治したあとにお義母様の診察に訪問するが拒否されたと書かれている。この辺りからPTSDの症状が出ていたのだろう、と考えていた私の目に信じられない一文が飛び込んでくる。

【毒殺の主犯が同郷の旧知の友である第二王妃付き侍女であり、絞首刑に処された事実に心理的衝撃を受けた模様。一切の面会謝絶】

「もし、仲の良かった人に殺されかけたら? 友人が死刑になったら? 前第一王妃が本当の真犯人で、その侍女は従わざる負えなかったとしたら……?」

 限りなく真実に近い憶測に心が引き裂かれそうになる。
 裏切られた怒り、親友の死への悲しみ、王妃間の対立に巻き込んだ罪悪感。お義母様の中にはひとりで抱えるには重すぎる感情ばかりがせめぎ合っているのだと思うと、涙が出てくる。

「簡単に癒せるなんて、私は……なんて軽く考えてたんだろう。他人だと言われるくらい、お義母様の痛みに比べたら傷つくほどのことじゃない」

 ひとつふたつと帳面に落ちる雫で文字が滲み、私は制服の袖で目元を拭う。そのまま腕を瞼に押しあてていると、ふいに後ろから抱きしめられる。

 振り返らずとも誰なのかは、いつでも私を守ってくれたこの手の感触と背に感じる温もりでわかった。

「……母上の診療記録を見たのか。昼間の母上の態度は酷いものだったというのに、向き合うのをやめずにいてくれたんだな」

「シェイド、今日のことは酷いなんて思ってないわ」

 お腹に回ったシェイドの腕に手を添えれば、抱きしめる力が強くなる。

「だが、泣いていただろう」

「……この診療記録を見て、ああやって感情をぶつけられて、お義母様がどれだけ深い傷を負ったのかがわかった。苦しいのは私じゃなくて、お義母様だわ」

 蘇るのは掛け布団を頭から被り、怯える目をしたお義母様だ。あの姿が脳裏に焼きついて、思い出すたびに胸が抉れそうになっているとシェイドが嘆息をつく。

「あなたは本当に、人の心配ばかりだな」

「私にとっても、お義母様は家族だもの」

「他人と罵られたというのに、まだそう思ってくれているのか。本当に感謝す……ん?」

 不自然に言葉が途切れてシェイドの顔を確認すると、その視線は私を通り越して机の上。お義母様との会話を書き留めた帳面に注がれていた。

「それは……前にも熱心に、なにかを書き込んでいたな」

「お義母様の心の変化を見逃さないために、この帳面にお義母様との会話を書き起こして振り返っているの。お義母様はいつも、あなたのことばかり幸せそうに話していたわ」

「本当だな……シェイドがシェイドがって、口を開けばそればかりだ。……いや待て、母上は俺が噴水で泳いだ話までしたのか」

 帳面を覗き込んで、ばつが悪そうな顔をするシェイドに私は笑う。

「家族とずっと一緒にいられる保証なんてないから、時間が許す限りできるだけ長くシェイドとお義母様には一緒にいてほしいの。そのためにできることがあるなら、私はなんでもしたい」

「あなたは……そうか、家族は別の世界にいるのだったな」

「ええ、だから思うの。あなたのお義母様は私の母も同然だから、これくらいのことでめげている暇があるなら少しでも心を許してもらえるように頑張らなきゃって」

 私にとって、落ち込む時間は立ち止まる時間と同義だ。悩む時間が自分の成長や現状の改善に繋がらないものならなおさら、私は痛む胸に別れを告げて歩き出す。
 そんな私をシェイドは優しい光を浮かべた目で見守っていた。

「あなたには……どれだけの時を重ねようと敵う気がしないな」

「それはお互いさまだわ」

「そう言うと思っていた。若菜、明日こそは母上と食事ができるといい。そのために可能性がある手は全てやり尽そう」

 シェイドの手が私の髪を撫で頬をさすり、労わるように唇を重ねてくる。

 辛さから目を逸らして自分を労われない私の代わりに、彼が慰めてくれているのだとわかって、やっぱり添い遂げるのはこの人だと再確認した瞬間だった。




 翌日、私はお昼休憩に厨房へ足を運んでいた。
 考えに考えた末、私はシェイドに頼んでここへお義母様を連れてきてもらうよう頼んだ。もちろん厨房までの道は人払いしているが、部屋から出るのはハードルが高いのでシェイドの手腕にかかっている。

「若菜、すまない遅くなった」

 調理器具を揃えていると、声が聞こえて顔を上げた。
 厨房の中に入ってきたシェイドの隣には建物の中なのに外套を羽織り、フードを深く被って顔を隠しているお義母様の姿がある。

「お義母様、こんなところに呼び出したりしてすみません。でも、料理を作るところから始めれば、毒が入っていないってわかると思ったんです」
 
 調理の過程で目視で毒の混入がないと確認しながら、誰かと一緒に作ったものを食べてもらう。目標は他人が作ったものを食べることだが、それより段階を下げて食事への恐怖に向き合ってもおらおうと考えたのだ。

「さ、食材を切りましょう」

 立ち尽くしているお義母様に構わず、私は野菜に包丁をあてる。
 シェイドがさりげなくお義母様の手を引いて、私の手元が見える位置に連れてくるのが視界の端に映った。

 そうして全ての野菜を切り終えて鍋に投入すると、調味料が入った瓶をお義母様の手に持たせた。お義母様は恐る恐るといった様子で、沸騰した湯の中に適量をふりかける。

「母上、味付けは頼んでもいいでしょうか」

 シェイドに頼られたお義母様は嬉しかったのか、少しだけ表情が和らぐ。その光景に胸が温かくなるのを感じながら、私たちはゴロゴロと野菜が入ったシチューを作った。

 片付けまできちんと終わらせると料理をトレイに載せて行き同様に人払いされた廊下を進み、私たちは別邸にやってくる。
 昨日と同じくテーブルに料理を並べて、三人で席に着いた。
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