異世界で、なんちゃって王宮ナースになりました。~王子がピンチで結婚式はお預けです!?~
▼2話 アストリア王国の亡命王子


 町境の争いが収束してから数日後の夜、私はティーセットを手にアイリーン王妃――シェイドのお母様が療養されている王宮内の別邸に向かっていた。

 第二王妃のお義母様はニドルフ王子の失脚後、王宮を追放された第一王妃であるニドルフ王子のお母様と長年対立していたらしい。食事に毒を混ぜられて殺されかけたり、馬車に細工をされて事故に遭ったりと、それは酷い仕打ちを受けてきたのだとか。

 それだけでなく、もともと跡継ぎが生まれなかったときの保険として第二王妃となったシェイドのお母様は夫の愛を受けられなかった。

 とにかく辛い思いをたくさんされてきたため、精神を病んでしまったお義母様は息子のシェイドにすら扉越しでしか話せないのだ。

 でも、最近は私の用意した紅茶を飲んでくれるようになった。初めは毒殺されたことを思い出すのか、気の知れた侍女の料理しか口にしなかったのに、これは大きな進歩だ。

「少しずつでいい、心を癒していけたらいいな」

 この世界で生きることを決めた私は、もう二度と自分の世界の両親に親孝行はできない。

 だから、本当の両親にできなかったことをお義母様にしてさしあげたい。この世界でできた大切な人の家族だもの。

 私は広大な庭園沿いの外廊下を通って、小さな薔薇園に囲まれた木造の別邸にやってくると軽く扉をノックした。

「こんばんは、お義母様。若菜です。一緒に紅茶を飲みませんか?」

 そう声をかけると、中でカタンッと音がした。足音が近づいてきて、扉の前にお義母様が来ているのがわかる。
 私は急かすことなくじっと待っていると、躊躇いがちに扉が開いた。

「若菜さん、また来てくれたのね」

 ほんの少ししか開いていない扉の隙間から、私が紅茶を注いだカップを差し入れると、お義母様はそっと受け取った。それを確認した私は扉に背を向けるようにして、その場に腰を下ろす。

「ここ数日、来られなくてすみません。アイドナとサバルドの町境でお仕事があって、王宮を出ていたんです」

 王宮にいられる間は必ずといっていいほどお義母様の元を訪れていたので、今回のように足を運べなかった日があったときには近況報告をするようにしていた。

「そうだったのね……。あなたも、シェイドも怪我はしていない?」

 扉越しに案じるような声が聞こえてきて、じわりと胸が温かくなる。

「私もシェイドも元気ですよ。そうだ、次はシェイドと一緒に会いに来ますね」

「ええ、楽しみにしてる……けほっ」

 少し咳込んだシェイドのお母様に、私は「大丈夫ですか?」と慌てて振り返る。
 するとなぜか、お義母様はおかしそうにくすくすと笑った。

「大丈夫よ、ハーブティーが変なところに入ってしまっただけだから。若菜さんはやっぱり看護師ね、心配性で気遣い屋さんだわ」

「す、すみません。咳き込んでいたり、くしゃみをしている人を見るとつい、なにか重大な病気なんじゃないか、見落とさないようにしないとって大げさになってしまうんです」

 こればっかりは職業病だ。改めて指摘されると無性に恥ずかしくなって、私は紅茶を飲む。スーッとしたハーブの香りは気持ちを落ち着けてくれた。

「若菜さんのような優しい人がそばにいてくれて、私も安心よ。シェイドの幸せを見届けられたら、私はなんの心残りもないわ」

「心残りだなんて……お義母様、まだまだこれからですよ。三人で色んなところへ旅行に行ったり、ご飯を食べたり。お義母様としたいことがたくさんあります」

 お義母様はときどき、もう未来など望んでいないかのような物言いをする。本当にシェイドの幸せ以外、なにも望んでいないのだ。それが達成されたら、お義母様は生きることを諦めてしまいそうな気がして不安になる。

「若菜さん……それができたら、きっと楽しいでしょうね」

 まだ、約束はしてもらえないのよね。でも、焦ってはダメ。少しずつお義母様の気持ちが上向くように寄り添っていかなくちゃ。
 挫けそうになる心を奮い立たせて、私は明るく務める。

「ええ、きっと楽しいですよ。ですから、ひとつずつ叶えていきましょう?」

 それから、お義母様といろんな話をした。

 シェイドが子供の頃に庭園の噴水で泳いで侍女が卒倒したとか、今は亡き弟のオルカくんと王宮内の壁に教育係の先生の似顔絵を面白おかしく描いて叱られただとか、私が看護師を目指した理由だとか、お互いの知らないことをなんでも共有した。

 そうやって今日もついつい長話をしてしまって、解散したのは日付も変わろうとした頃だった。
 また来ることを約束してシェイドのお母様と別れた私は、王宮の敷地内にある治療館の治療室に戻ってくる。

「ふあ……眠いけど、忘れないうちに書いておかないとね」

 さっそく机に向かうとランプの明かりだけを頼りに、帳面にお義母様との会話の内容を書き込んでいった。

 精神科病棟にいたことはないけれど、心のケアでは日々の会話の中に患者のSOSサインが隠れていることがあるので、やりとりを振り返る必要があるのだ。

「悲しい、苦しい気持ちを言葉にできる人ばかりじゃないものね」

 辛いときこそ笑って、苦しいときこそ『大丈夫』と口癖のように言ってしまう人がいる。短い期間だけれど、接していくうちにお義母様も弱音を吐けない人だとわかった。きっと、シェイドのように笑顔や態度でごまかして、ため込んでしまうタイプだ。

 だから私はできるだけその不安に気づいてあげられるように、できることをしたいと思っている。

 一応看護記録のつもりなのだけれど、気づいたら【お義母様が一緒にしたいことを見つけてくれたらいいな】とか、【庭園の薔薇が咲いたから、一緒に散歩できたらいいな】とか、日記のようになりつつある。

 短冊に願い事を書いているような気分で文字を綴っていると、不意に手元が陰ってランプの炎が揺れた。
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