異世界で、なんちゃって王宮ナースになりました。~王子がピンチで結婚式はお預けです!?~
「あなたが俺の婚約者でよかった」
「それも私のセリフだわ」
ダマスクローズが私たちを祝福するように風に揺れている。異世界にも引力が存在するのか、自然とお互いの唇が近づいてそっと重なる。
それは私たちを包む薔薇の色香よりも遥かに甘い接吻だった。
お義母様の心は徐々に癒え、一ヶ月後には私たちが付き添わなくても外へ出られるようになっていた。
今日はお義母様の快気祝いパーティーが王宮で開かれている。お義母様が計画してくれた婚約記念パーティーの恩返しにと、私とシェイドが提案した身内だけのパーティーだ。
広間は華美なドレスを纏った婦人と燕尾服や軍服に身を包む男性で溢れ、賑わっている。
私はシェイドとお義母様が一緒にダンスをしているのを見届けて、そっと広間を抜け出した。
外の空気を吸いたくて庭園沿いの外廊下を歩いていると、前からアスナさんが歩いてくるのが見えた。
楽しいことが大好きな彼が広間にいないなんて珍しい。今頃、掴みどころがない点で似た者同士のアージェや軽口を叩き合っているが親友であるローズさんと一緒に騒いでいると思ったのだ。
「やあ、若菜ちゃん。こんなところでなにやってるの?」
「アスナさんこそ、広間を抜け出してたんですね」
ひらひらと手を降るアスナさんが目の前にやってくると、同時に足を止める。
「うん、熱気がすごくてね。ちょっと風にあたりたいなって思ってさ。それより、いい女がひとりでうろつくなんて危ないよ? うっかり、殺されちゃうかもしれないしさ」
さらっと恐ろしい単語が右から左へと耳を突き抜けた。私の知っているアスナさんの声のトーンよりうんと低く、私は今まで感じたことのない緊張感に冷や汗をかく。
「アスナ……さん、ですよね?」
「うん? 変なこと聞くんだね、俺に決まってるじゃん」
「そう、ですよね」
自分でもわけがわからないのだが、彼が私の知っているアスナさんとは別人のように思えたのだ。
飄々として軽い上に感情が常に上っ面なところもあるが、根底にあるシェイドを守る意志や仲間に対する熱い信頼はこれまで戦場を共にしたからこそ本物だと言い切れる。
でも、今感じているのは明らかな心の距離だった。
機嫌が悪いのだろうか?
どんなときでも苛立ちを露わにせず、気さくさを貫く彼がやけに余所余所しいことに困惑しているとアスナさんは私の横をすり抜けていく。
「じゃあ、またね」
唐突に去っていくアスナさんに返事ができないほど思考が停止していたとき、背後から明るい声が飛んでくる。
「あ、若菜ちゃん、こんなところにいたーっ」
えっ、この声って……!
慌てて振り返れば、遠くからアスナさんとシェイドが歩いてくる。
「あれ? アスナさん、また戻ってきたんですね」
「ん? どこから?」
目を瞬かせながら尋ねれば、アスナさんと大げさなくらい首を捻った。
会話が噛み合っていない気がして、ふたりできょとんとした表情のまま固まっているとシェイドが私の肩を後ろに引く。
「近すぎる。節度ある距離をとってくれ」
「はいはい、王子は相変わらず独占欲強いですねー。じゃあ、あとはおふたりでよろしくしてくださいよ」
数分前と同じように、ひらひらと手を振って去っていくアスナさんに私は首を傾げる。
「アスナさん、さっき『またね』って言っていなくなってから、数分で戻ってきたのよ。だけど、本人は覚えてないみたい」
もしかして、不機嫌だったのをシェイドに知られたくなくて誤魔化した?
演技だとしたら名俳優になれそうだが、少なくとも私には本気で知らないといった様子に見えた。
「アスナはずっと俺といたぞ。いつ若菜と会ったんだ?」
「いつって、ついさっきよ」
「人違いではないのか?」
「まさか、仲間を見間違えるはずないわ。でも……」
私の知っているアスナさんとは違って、少し怖かった。もしかしたら、疲れが祟って幻覚でも見ていたのかもしれない。そう自分に言い聞かせて、私は「気のせいだったかも、忘れてちょうだい」と考えるのを放棄した。
そんな私をシェイドは心配そうに見ていたが、やがて薔薇園のダマスクローズに視線を移す。ふたりで言葉もなく薔薇園を眺めていたとき、ふいにシェイドの手が私の髪に伸びてきた。
「薔薇の花びらが髪に張りついている」
シェイドが私の髪についていたピンク色の花びらをつまんで取ると、それを見つめながら目を細める。
「前に、いつか突然、俺の前からあなたが消えてしまうのかもしれなくても、俺は許された時間の分だけあなたといたい……そう言ったのを覚えてるか?」
それは彼とこの世界で共に生きる。そう教会で誓った日の言葉だと、すぐに思い出せた私は肯定するように頷く。
「だが、あれを撤回しようと思う」
「え?」
言葉の意味がわからず、シェイドを見上げると月の淡い光をそのまま連れてきたような琥珀の瞳に目を奪われた。
「記憶は消えても、若菜への愛情は残っていた。それは若菜への想いだけは、なにがなんでも手放さないと、そう強く思っていたからだ」
「そうね、あなたがその心に私の存在を刻みつけてくれていたから、私たちはもう一度恋をすることができた」
彼とこうして見つめあえる時間が尊くて、私は自分から愛する人の背中に腕を回し、その胸に頬をすり寄せる。
すると、シェイドは私の顔を両手で包み込んで上向かせた。
「だから若菜も、俺の前から消えないと言い切ってくれ。その胸に誓ってくれ。俺は許された時間の分までなどと神に乞うことはしない。俺が若菜をこの世界に繋ぎ止める」
――ああ、この人の真っ直ぐな想いにはいつも圧倒される。
運命に身を委ねるのではなく、運命を変えてでもそばにいるための道を作っていく。その決意を示してくれた彼に応えないはずがない。
「私はあなたの前からいなくなったりしない。もし、そんな運命が待ち受けていたとしても、必死にふたりで一緒にいられる道を探すわ」
愛してる、の言葉の代わりに私たちは熱い抱擁と口づけを交わした。重なる体温から想いが絡み合って、私はより強い絆で結ばれるのを感じていたのだった。