一駅分の幸福
 終点に辿り着いた。
 彼女を先に、二人でバスから降りると、早速と振り返って「どう?」と聞いてきた。

「――正直なところ、言葉がありません。演奏前、中、後の貴女の表情、貴女が立ち上がった時の客の湧き……全て、衝撃が強すぎて」

「お、素直に嬉しい感想だ。ありがと」

 彼女はふわりとはにかんだ。

「しかし。どうして、自分の演奏を僕に?」

 そう問うと。
 彼女は笑って、

「ちょっと、自信が欲しかったの」

 堂々と、そう言い放った。

「自信?」

「うん。スランプっていうのかな。最近ちょっと、成績が芳しくなくてさ。ちなみにあれはね、去年の学園祭」

「天上の学祭……なんか凄そうですね――っと、スランプ、ですか」

「そ。でも、まぁ良かったよ。正直な感想が、そんな意見で。ありがと」

「別に何も……あの演奏を聴いた、率直な感想ですから」

 何も考えていない、紛れもない本心だ。

「この頃の、ピアノに対する熱、思い――取り戻せた気がする」

「そ、それは何よりです」

「君のおかげ」

「いえ、僕は本当に何も――」

「ううん。君のおかげなの」

 少し俯いて、どこか困り顔の彼女。
 しかし、眉根こそ少し下がっているが、どこか晴れやかな表情だ。
 何かが、彼女の中で吹っ切れたことは、確からしい。

「僕、下りなんですけど――貴女は?」

「残念、上り。お別れだね」

 とは言ったものの。
 明日からもまた、帰りにはバスで会える訳なのだから。
 これまでと変わらない。話しかける、あるいは話しかけられる、といった違いがあるだけの、なんてことはない日常だ。

「いきなり話しかけちゃって、ごめんね。楽しかったよ」

「それはどうかお気になさらず。天上の女性と話せて、僕も楽しかったですから。そもそも、きっかけは僕の音漏れですし」

「ふふ、そうだったね」

 そう言って二人、改札をくぐる。

「じゃあ、これで。ばいばい」

「ええ、また。さようなら」

 控えめに手を振り合って、僕らは別々のホームへと降りる。
 瞬間、僕の方に電車が入って来て、慌てて乗り込んだ。

 対面には――まだ、彼女は降りてこない。

 まぁ、いいか。



 明日からの帰りが、少し楽しみだ。
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