この人だけは絶対に落とせない
20時上がりで店を上がると中途半端な気しかしなくて嫌だ。それなら22時まで残った方がすっきりするが、会社としては残業はしない方針になっているし、また、しなければならない作業もない。
仕事に対してまだ余力を持っている桜井は、自己防衛のための荷物チェックを役職者である久川にしてもらい、そしてまた、同時刻に上がった久川の荷物チェックも桜井がし終え、偶然2人で駐車場に向かっていた。
真横に立つと、彼は本当に背が高い。
小中高大、とバスケに専念していたようで、全国大会にも出場していた有名チームでいたらしい。
体格はそれでなるほどと思うのだが、接してみると体育会系の騒がしさは全くなく、ほとんど口を動かさない。接客に至っても無駄なことは一切言わないらしいのだが、その美貌から客が引かず、客の無駄話で時間を取られている、ということらしかった。
それは確かに分かる。なかなか見かけないくらいの高身長でやや前髪長めの黒髪、きりりとした利発そうな目元に、整った鼻口。久川が異動してくると知った瞬間、カウンター陣は沸き立っていたし、実際赴任してからは、カウンターに限らず全ての女性が彼のことを男としてみているような気さえする。
この1年くらいでももう何人もアプローチしたと聞いた。だがそういう意味では自分からは一番遠い男だと思っていた。
「…久川さんの車、どれですか?」
広い従業員用の駐車場所で、桜井が自らの乗用車の前に立ってもまだ彼が隣にいたので聞いた。
「……あの」
立ち止まったので、
「はい」
その顔を見上げた。丁度外灯のおかげで、表情までよく分かる。
「……」
あまりにも真剣な顔つきに、何を言いだすんだとただただ見つめた。予期せぬ仕事の話だと構える。
「……すきです」
「………」
全身が固まった。
「好きです」と聞こえた気がしたからだ。
だが、そんなはずはない。
ここは駐車場だ。
相手は久川だ。確か1つ下の後輩だ。同じ店だ。そして、人気者だ。
「………え?」
なるべく柔らかな顔を作りながら、聞き返した。
すきです…と聞こえたが、何と言いたかったのだろう。
「好きだから…、付き合って欲しい」
「………」
今、ここで、言うセリフ?
「………」
さすがに、視線を伏せた。
ひ、久川が……。
この1年間で接した久川が、次々と頭の中に浮かんでは消えた。だが、それらしい言動はなかったはず。
「……急…だけど」
「き、急ですよ……」
動揺を隠せなかったが、何か喋ってくれたおかげで助かる。
「な、何を……言ってんですか……」
「言ったのは急だけど、考えてたのは、5年も前からだから」
「5年!?」
驚いて顔を見上げた。
その表情は、さすがにいつもの無表情とは少し違う、複雑そうな見たこともない顔だった。
「入社して、ここに研修に来た時…。2週間くらいだったけど」
「…あぁ……」
返事はしたが、全然知らない。
「その時から、ずっと思ってたから」
さすがにそれは嘘だと思う。その間に彼女は何人かいただろうし。
まあでも、ずっと良かった、とは思っていたのかもしれない…いや、ここ1年でいいなと思ったのは確かだけど、5年も前も良かったと思っていたのかもしれない……。
「……今すぐ、返事が欲しいとは思ってないから」
「…………」
返事ったって……。
「…………」
「でもまた、返事は聞かせてほしい」
今まで声など意識したこともなかったが、そうだ、誰かが低い素敵な声だと言っていた。
「………、……はい」
なんとなく、頷く。
「……お疲れ様でした……」
そう切り上げると、彼は先に足を動かし始めた。
距離が開いて、ようやく息ができるようになる。
男性7割、女性3割のこの会社では、男性からのアプローチを受けることは少なくない。実際、18のまだバイトの時、社員の人に告白されて付き合ったことがある。…1年も持たなかったし、その人はしばらくして会社を辞めたけど。
だけどそれで学んだのは、同じ店の中でそういうことがあると、後々しんどい。良い時も周りの目が見えなくなる時があるし、仕事にムラができるし、従業員だけでなく、客にも迷惑をかける時がある。
それを、久川は分かってないんだろうなあと思う。
久川の仕事ぶりがどんなものかは興味がなかったのであまり知らないが、顔立ちや背格好が綺麗という人気でなんとなく部門長まで上がったのではないか、という不安さえ立った。
だいたい、東都の部門長がプライベートな感情に一々左右されてはいけないし、まさかそれを自らふっかけて、周りを乱してはいけない。
そのことを全く考えなかったのだろうか。
ついに、5年越しの想いをぶちまけた久川は、清々しい気分で朝の業務の準備を始めていた。ずっと伝えたくて、伝えられなかった想いを、勢いではあるがきちんと本人にぶつけることができた。
入社してから、真面目に仕事をし、努力をすることを心がけて来た。時々女性から声をかけられることはあったが、そんな気には全くならなかった。
その甲斐あって、東都まで上り詰め、桜井と並んだ。
今までいろんな人から桜井の東都での噂を聞くことはあった。その度に、この人と一緒に仕事ができるようになったら、と研修時代を思い出していたのだが、ついにその時が来たのだ。この1年間も、出来る限りのアプローチはしてきたつもりだ。それもきっと上積みになるに違いなかった。
それを、昨日本人がどう受け取ったのかは分からない。だが、とにかく今は、吐きだすことができただけで、満足だ。
意気揚々としながら、今日のシフトを確認する。
桜井は午後から出社だ。どんな表情を自分に向けて来るのか、と想像しようとした瞬間、
「おはようございます」
背後から、その声が聞こえて驚いた。
「……おは、よう……」
夢か、幻を見ているのではないかと、その先が続かない。
「……あの……」
だがしかし、なんだか表情が冴えない。
これは、……。
「昨日の、お話なんですが」
その先を予感した久川は、ただ固まった。
「同じ店でいて、そういう気持ちにはなれません。私は」
「……」
予想だにしない返答に、ただ黙る。
「ここへは仕事をしに来ています。社員同士でそういう気持ちになると仕事にムラができるし、後々、仕事がやりづらい時が来た時に困るので……」
ただKOされる。
完全に言い切られた。
「……」
言い終わった桜井は、そのまま部屋から出て行こうとするので、
「待って」
慌てて、呼び止めた。
「……」
そのまま立ち止まってくれてはいるが、振り返りもしてくれない。
「……後悔はさせない、絶対に」
必死で言った。恰好悪いのは承知の上だった。ただ、今は自分が後悔しないように、想いを述べる。
「別れたらその後仕事がやりづらいから嫌なんです」
彼女は前を向いたまま言い切った。
「別れたら、だろ? 俺は別れるつもりはない」
自分の気持ちを確信した瞬間だった。
「一生」
そうだ、俺はそう思っている。
「いっ……」
彼女の顔が若干後ろに向いたので、一歩前に出た。
「必ず仕事には万全の体制で行かせる。俺は働く姿をいつも見ていたいし、その姿にも憧れている。同じ部門長であることを尊敬もしている」
顔を赤らめて、俯き加減で口元に手をあてた。もうひと押しだ!
「あ、桜井だったか。車が2台あったから…」
突然の関の声に、慌てて距離をとるために、退いた。
「お、お……おはようございます…」
俺はどこも見ずに挨拶をした。
「……おはようございます」
遅れて、桜井も声を出す。
「…………」
関が何も言わない。絶対に何かの空気を察知したはずだ。
「すみません」
桜井が声を出したので、驚いて凝視した。
「シフトを間違えて来たんですが、帰るのも面倒なのでこのまま午前中に来月のシフトを作ってもいいですか?」
既に顔は仕事の顔つきになっている。
これで誤魔化せたかと思ったが、そう簡単にはいかなかった。
「……。いいけど。残業はしない方針なのは理解の上でしてね」
「……す……みません。………シフトは必ず確認します」
「店長室ですればいいよ、場所空けるから」
「……ありがとうございます」
桜井が、現場のシフトを自分で作っていることは知っていたが、店長室? この事務室のパソコンでも充分できるはずじゃ…。これまさか、関は桜井のことを……。
それがよぎってしまった久川は、ありとあらゆる2人の仮説を頭の中で並べてしまい。すぐ事務室に1人取り残されてしまう。ただ、息苦しい中で、久川は桜井への独占欲の中に茫然と突っ立つことしかできかなった。
仕事に対してまだ余力を持っている桜井は、自己防衛のための荷物チェックを役職者である久川にしてもらい、そしてまた、同時刻に上がった久川の荷物チェックも桜井がし終え、偶然2人で駐車場に向かっていた。
真横に立つと、彼は本当に背が高い。
小中高大、とバスケに専念していたようで、全国大会にも出場していた有名チームでいたらしい。
体格はそれでなるほどと思うのだが、接してみると体育会系の騒がしさは全くなく、ほとんど口を動かさない。接客に至っても無駄なことは一切言わないらしいのだが、その美貌から客が引かず、客の無駄話で時間を取られている、ということらしかった。
それは確かに分かる。なかなか見かけないくらいの高身長でやや前髪長めの黒髪、きりりとした利発そうな目元に、整った鼻口。久川が異動してくると知った瞬間、カウンター陣は沸き立っていたし、実際赴任してからは、カウンターに限らず全ての女性が彼のことを男としてみているような気さえする。
この1年くらいでももう何人もアプローチしたと聞いた。だがそういう意味では自分からは一番遠い男だと思っていた。
「…久川さんの車、どれですか?」
広い従業員用の駐車場所で、桜井が自らの乗用車の前に立ってもまだ彼が隣にいたので聞いた。
「……あの」
立ち止まったので、
「はい」
その顔を見上げた。丁度外灯のおかげで、表情までよく分かる。
「……」
あまりにも真剣な顔つきに、何を言いだすんだとただただ見つめた。予期せぬ仕事の話だと構える。
「……すきです」
「………」
全身が固まった。
「好きです」と聞こえた気がしたからだ。
だが、そんなはずはない。
ここは駐車場だ。
相手は久川だ。確か1つ下の後輩だ。同じ店だ。そして、人気者だ。
「………え?」
なるべく柔らかな顔を作りながら、聞き返した。
すきです…と聞こえたが、何と言いたかったのだろう。
「好きだから…、付き合って欲しい」
「………」
今、ここで、言うセリフ?
「………」
さすがに、視線を伏せた。
ひ、久川が……。
この1年間で接した久川が、次々と頭の中に浮かんでは消えた。だが、それらしい言動はなかったはず。
「……急…だけど」
「き、急ですよ……」
動揺を隠せなかったが、何か喋ってくれたおかげで助かる。
「な、何を……言ってんですか……」
「言ったのは急だけど、考えてたのは、5年も前からだから」
「5年!?」
驚いて顔を見上げた。
その表情は、さすがにいつもの無表情とは少し違う、複雑そうな見たこともない顔だった。
「入社して、ここに研修に来た時…。2週間くらいだったけど」
「…あぁ……」
返事はしたが、全然知らない。
「その時から、ずっと思ってたから」
さすがにそれは嘘だと思う。その間に彼女は何人かいただろうし。
まあでも、ずっと良かった、とは思っていたのかもしれない…いや、ここ1年でいいなと思ったのは確かだけど、5年も前も良かったと思っていたのかもしれない……。
「……今すぐ、返事が欲しいとは思ってないから」
「…………」
返事ったって……。
「…………」
「でもまた、返事は聞かせてほしい」
今まで声など意識したこともなかったが、そうだ、誰かが低い素敵な声だと言っていた。
「………、……はい」
なんとなく、頷く。
「……お疲れ様でした……」
そう切り上げると、彼は先に足を動かし始めた。
距離が開いて、ようやく息ができるようになる。
男性7割、女性3割のこの会社では、男性からのアプローチを受けることは少なくない。実際、18のまだバイトの時、社員の人に告白されて付き合ったことがある。…1年も持たなかったし、その人はしばらくして会社を辞めたけど。
だけどそれで学んだのは、同じ店の中でそういうことがあると、後々しんどい。良い時も周りの目が見えなくなる時があるし、仕事にムラができるし、従業員だけでなく、客にも迷惑をかける時がある。
それを、久川は分かってないんだろうなあと思う。
久川の仕事ぶりがどんなものかは興味がなかったのであまり知らないが、顔立ちや背格好が綺麗という人気でなんとなく部門長まで上がったのではないか、という不安さえ立った。
だいたい、東都の部門長がプライベートな感情に一々左右されてはいけないし、まさかそれを自らふっかけて、周りを乱してはいけない。
そのことを全く考えなかったのだろうか。
ついに、5年越しの想いをぶちまけた久川は、清々しい気分で朝の業務の準備を始めていた。ずっと伝えたくて、伝えられなかった想いを、勢いではあるがきちんと本人にぶつけることができた。
入社してから、真面目に仕事をし、努力をすることを心がけて来た。時々女性から声をかけられることはあったが、そんな気には全くならなかった。
その甲斐あって、東都まで上り詰め、桜井と並んだ。
今までいろんな人から桜井の東都での噂を聞くことはあった。その度に、この人と一緒に仕事ができるようになったら、と研修時代を思い出していたのだが、ついにその時が来たのだ。この1年間も、出来る限りのアプローチはしてきたつもりだ。それもきっと上積みになるに違いなかった。
それを、昨日本人がどう受け取ったのかは分からない。だが、とにかく今は、吐きだすことができただけで、満足だ。
意気揚々としながら、今日のシフトを確認する。
桜井は午後から出社だ。どんな表情を自分に向けて来るのか、と想像しようとした瞬間、
「おはようございます」
背後から、その声が聞こえて驚いた。
「……おは、よう……」
夢か、幻を見ているのではないかと、その先が続かない。
「……あの……」
だがしかし、なんだか表情が冴えない。
これは、……。
「昨日の、お話なんですが」
その先を予感した久川は、ただ固まった。
「同じ店でいて、そういう気持ちにはなれません。私は」
「……」
予想だにしない返答に、ただ黙る。
「ここへは仕事をしに来ています。社員同士でそういう気持ちになると仕事にムラができるし、後々、仕事がやりづらい時が来た時に困るので……」
ただKOされる。
完全に言い切られた。
「……」
言い終わった桜井は、そのまま部屋から出て行こうとするので、
「待って」
慌てて、呼び止めた。
「……」
そのまま立ち止まってくれてはいるが、振り返りもしてくれない。
「……後悔はさせない、絶対に」
必死で言った。恰好悪いのは承知の上だった。ただ、今は自分が後悔しないように、想いを述べる。
「別れたらその後仕事がやりづらいから嫌なんです」
彼女は前を向いたまま言い切った。
「別れたら、だろ? 俺は別れるつもりはない」
自分の気持ちを確信した瞬間だった。
「一生」
そうだ、俺はそう思っている。
「いっ……」
彼女の顔が若干後ろに向いたので、一歩前に出た。
「必ず仕事には万全の体制で行かせる。俺は働く姿をいつも見ていたいし、その姿にも憧れている。同じ部門長であることを尊敬もしている」
顔を赤らめて、俯き加減で口元に手をあてた。もうひと押しだ!
「あ、桜井だったか。車が2台あったから…」
突然の関の声に、慌てて距離をとるために、退いた。
「お、お……おはようございます…」
俺はどこも見ずに挨拶をした。
「……おはようございます」
遅れて、桜井も声を出す。
「…………」
関が何も言わない。絶対に何かの空気を察知したはずだ。
「すみません」
桜井が声を出したので、驚いて凝視した。
「シフトを間違えて来たんですが、帰るのも面倒なのでこのまま午前中に来月のシフトを作ってもいいですか?」
既に顔は仕事の顔つきになっている。
これで誤魔化せたかと思ったが、そう簡単にはいかなかった。
「……。いいけど。残業はしない方針なのは理解の上でしてね」
「……す……みません。………シフトは必ず確認します」
「店長室ですればいいよ、場所空けるから」
「……ありがとうございます」
桜井が、現場のシフトを自分で作っていることは知っていたが、店長室? この事務室のパソコンでも充分できるはずじゃ…。これまさか、関は桜井のことを……。
それがよぎってしまった久川は、ありとあらゆる2人の仮説を頭の中で並べてしまい。すぐ事務室に1人取り残されてしまう。ただ、息苦しい中で、久川は桜井への独占欲の中に茫然と突っ立つことしかできかなった。