この人だけは絶対に落とせない
9月25日
そのまま、シフトもすれ違いで数日が経過してしまい、焦りを感じていた久川の前に突如現れたのは、倉庫のベテラン社員が定年退職する、退職祝いの会の出欠表だった。
ベテラン社員には何度かお世話にはなったが、そもそもそういう会が嫌いな久川はいつも、出社だから、休みだからと断り、出席したことはなかった。
だが今回、そこに桜井の名前を見つけたのである。
人数は既に20名ほどの名前が書かれていたこともあり、久川は、それに混ざってさっと名前を記入した。
数人に、出席なんて珍しい遅番なのに、と言われて初めて23時上がりのシフトで名前を書いてしまったことに気付いた。同じく桜井のシフトを確認すると、21時上がりである。まあ、30分でも行ければいいと気にもせず、そして桜井と特に会話することもなく、何もない2週間が経過した。
10月15日
「あー……行けないや……」
カウンターの隅で桜井の声が耳に入った久川は、いち早く雑音を取り払う。伝票に何かを記入するふりをしたまま、微動だにせずその声に集中した。
「ああ、送別会? じゃあ僕が代わりにやるから行けばいいよ」
桜井の手元にあった伝票をさっと横取りしたのは市瀬副店長だった。
その瞬間、今日が送別会だったことを久川は今更思い出した。
「いえ! いいです、いいです! 仕事優先です」
言い切って、もう一度伝票を横取りし直す。
「でも、世話んなったんだろ?」
もう一度市瀬は伝票を奪いかえしたが、
「ですけど、それは過去。今は今です」
更に、桜井はもう一度伝票を取り返そうとして、市瀬の手から紙が離れないことに笑った。
「伝票がぐちゃぐちゃになります」
笑っている。
「うーん……」
若干考えながらも、市瀬は手を離した。
「三好と行くの?」
「そのつもりですけど」
客の家まで出張サービスに出るつもりだ。おそらく担当者が三好で、それにカウンター陣の誰かが絡んでいるので、代理で責任者の桜井が同行するのだろう。これで人数は役職者を含む2人、表的には問題ないのだが…。
「三好、大丈夫?」
前回の、食事に誘われていたことを市瀬が心配しているのは、久川にも分かった。
「え、ええ。気にし過ぎですよ。そんなのいちいち気にしてたら仕事できません」
さらりと言われて、それが自分のことにように聞こえて固まった。
「……、久川君」
市瀬に呼ばれた。
盗み聞きをしていたのと、突然呼ばれて驚きすぎたせいで、顔が向けられなかった。
「久川君」
もう一度市瀬に呼ばれ、「はい」とポーカーフェイスで乗り切る。
「今日22時に南方面までサービスに出るから頼むよ」
急遽三好の代役に選ばれたせいで、声が出ない。
「……」
しかし、ということは、桜井と2人きりで現場に行くことになる!しかも南は遠い!1時間近くかかる!
「……、どんな案件なんですか?」
平常心を保ちながらも、桜井を見た。
どこも見ず、こちらも平常心だ。
「オーディオの交換作業。返金作業が出るから桜井にも同行してもらう。三好は別のお客さんの案件が重なってるから」
さらりと言った嘘に、何様きどりだと思ってしまう。
「…、はい」
「お客さんが明日中に必要なんだけど、今日仕事から帰って来るのが22時だっていうから。向こうの指定。場所はここ。ナビで出ると思う。社用車は確保してる。安全運転で頼むよ」
最後の一言は、桜井を護るために言ったのだろうが、それが実に余計だったので。
「安全に決まってるじゃないですか」
と無駄口を叩いてしまう。
「俺もそれまで残ってるから」
市瀬が言うと、
「えっ、もう帰ってもらって大丈夫です!」
桜井が慌ててフォローする。
「いや、女性をサービスに出させてそのまま帰れないよ」
思わず睨んだ。
「……関店長がいるから大丈夫です」
……そのセリフからも、疑わしい気持ちが蘇る。
「関店長には報告してないから」
桜井が一時停止した。
「………します。私からしますから」
桜井は市瀬を見つめた。
「市瀬副店長、明日も朝早いですよね。関店長のことは、私に任せてください」
ただ店長に報告するだけで、何故これほどまでにアイコンタクトが必要なのかと腹が立つ。
「俺が言っとくよ」
市瀬は笑いながら去ってしまい、桜井は大きく溜息を吐いて頭を掻いた。
そのまま、シフトもすれ違いで数日が経過してしまい、焦りを感じていた久川の前に突如現れたのは、倉庫のベテラン社員が定年退職する、退職祝いの会の出欠表だった。
ベテラン社員には何度かお世話にはなったが、そもそもそういう会が嫌いな久川はいつも、出社だから、休みだからと断り、出席したことはなかった。
だが今回、そこに桜井の名前を見つけたのである。
人数は既に20名ほどの名前が書かれていたこともあり、久川は、それに混ざってさっと名前を記入した。
数人に、出席なんて珍しい遅番なのに、と言われて初めて23時上がりのシフトで名前を書いてしまったことに気付いた。同じく桜井のシフトを確認すると、21時上がりである。まあ、30分でも行ければいいと気にもせず、そして桜井と特に会話することもなく、何もない2週間が経過した。
10月15日
「あー……行けないや……」
カウンターの隅で桜井の声が耳に入った久川は、いち早く雑音を取り払う。伝票に何かを記入するふりをしたまま、微動だにせずその声に集中した。
「ああ、送別会? じゃあ僕が代わりにやるから行けばいいよ」
桜井の手元にあった伝票をさっと横取りしたのは市瀬副店長だった。
その瞬間、今日が送別会だったことを久川は今更思い出した。
「いえ! いいです、いいです! 仕事優先です」
言い切って、もう一度伝票を横取りし直す。
「でも、世話んなったんだろ?」
もう一度市瀬は伝票を奪いかえしたが、
「ですけど、それは過去。今は今です」
更に、桜井はもう一度伝票を取り返そうとして、市瀬の手から紙が離れないことに笑った。
「伝票がぐちゃぐちゃになります」
笑っている。
「うーん……」
若干考えながらも、市瀬は手を離した。
「三好と行くの?」
「そのつもりですけど」
客の家まで出張サービスに出るつもりだ。おそらく担当者が三好で、それにカウンター陣の誰かが絡んでいるので、代理で責任者の桜井が同行するのだろう。これで人数は役職者を含む2人、表的には問題ないのだが…。
「三好、大丈夫?」
前回の、食事に誘われていたことを市瀬が心配しているのは、久川にも分かった。
「え、ええ。気にし過ぎですよ。そんなのいちいち気にしてたら仕事できません」
さらりと言われて、それが自分のことにように聞こえて固まった。
「……、久川君」
市瀬に呼ばれた。
盗み聞きをしていたのと、突然呼ばれて驚きすぎたせいで、顔が向けられなかった。
「久川君」
もう一度市瀬に呼ばれ、「はい」とポーカーフェイスで乗り切る。
「今日22時に南方面までサービスに出るから頼むよ」
急遽三好の代役に選ばれたせいで、声が出ない。
「……」
しかし、ということは、桜井と2人きりで現場に行くことになる!しかも南は遠い!1時間近くかかる!
「……、どんな案件なんですか?」
平常心を保ちながらも、桜井を見た。
どこも見ず、こちらも平常心だ。
「オーディオの交換作業。返金作業が出るから桜井にも同行してもらう。三好は別のお客さんの案件が重なってるから」
さらりと言った嘘に、何様きどりだと思ってしまう。
「…、はい」
「お客さんが明日中に必要なんだけど、今日仕事から帰って来るのが22時だっていうから。向こうの指定。場所はここ。ナビで出ると思う。社用車は確保してる。安全運転で頼むよ」
最後の一言は、桜井を護るために言ったのだろうが、それが実に余計だったので。
「安全に決まってるじゃないですか」
と無駄口を叩いてしまう。
「俺もそれまで残ってるから」
市瀬が言うと、
「えっ、もう帰ってもらって大丈夫です!」
桜井が慌ててフォローする。
「いや、女性をサービスに出させてそのまま帰れないよ」
思わず睨んだ。
「……関店長がいるから大丈夫です」
……そのセリフからも、疑わしい気持ちが蘇る。
「関店長には報告してないから」
桜井が一時停止した。
「………します。私からしますから」
桜井は市瀬を見つめた。
「市瀬副店長、明日も朝早いですよね。関店長のことは、私に任せてください」
ただ店長に報告するだけで、何故これほどまでにアイコンタクトが必要なのかと腹が立つ。
「俺が言っとくよ」
市瀬は笑いながら去ってしまい、桜井は大きく溜息を吐いて頭を掻いた。