この人だけは絶対に落とせない
3月25日
 結局、風見は簡単に異動し、その理由で大騒ぎしたが誰も本当の事が分からないまま、そして応援が来ないまま一週間が過ぎた。

 後、一週間後には新しい副部門長が来ることになっているので、もうひと踏ん張りだ、と思う。

 残業をなるべくしないでおこうと、中抜けというシフトを組んでもらっている桜井は、朝8時50分から3時間出社して、一度帰り、夜19時から再び出社するという出勤を繰り返していた。

 しかし、実際家に帰るとどうも感覚が狂いそうで、たいていは昼食をのんびり外で食べて、更にカフェで過ごして18時に戻ってくることを逆に楽しんでいた。

 この手法はカウンター陣の中では好評で、行く店を提案してくれる人もいて助かった。

 隙間での事務室での作業も順調だった。今までにあまり話したことがない、鹿谷や武之内副店長とも雑談ではあるが話をすることができた。

 もちろん休日も入れてもらっている。

 なのに、そんな日に限って引き継ぎを忘れていたことを思い出した桜井は、私服で店に入った。1分程度で用を終え、そのまま帰ることにする。

 だが、丁度関が店長室でいることを知り、顔を見てから帰ることにした。

 風見の噂は、想像以上に早く引いた。これは、女性陣の中にあまり受け入れられていなかった証拠だ。モテるタイプの男ではなかった故、助かったと安堵していた桜井は、安心しきって店長室を覗く。

「……」

 テーブルに両手をつき、俯いて辛そうにしている予想だにしない関の姿がそこにあった。

「せきっ……」

 言う前に、倒れ込んでしまう。足がパイプ椅子にもつれて、派手に倒れた。

 肩を思い切り床にぶつけたような気がしたが、何も言わず、そのまま動かない。

「せっ、関店長!! 」

 ようやく駆け寄り、頭元に跪いた。

「……いて……」

 肩を押さえている。

 意識はあるようだ。

「き、きゅうきゅうきゅうしゃ、呼びましょうか!?」

 関は目を閉じたまま、肩を押さえていない方の手を、ひらひらと揺らせた。

 救急車は大丈夫か……。

「お、起き上がれますか?」

 無理矢理起こそうと背中に腕を回したが、

「そのままで」

 目を閉じたまま、眉間に皴をよせて言うので、背中から手を離す。

 床に頭が直接当たっているので、着ていた分厚いカーディガンを脱いで畳んで枕にし、強引に頭の下に押し込んだ。

「……寒いですよね。毛布取って来ます!」

 こんな時のために、救助用の毛布があるのではないかもしれないが、使うなら今だと、鍵のかかっていないすぐ隣の第二備品庫から取り出してくる。

 一枚は床に綺麗に敷いた。

「身体動かせます? 毛布の上の方がいいかも……」

 そして、身体をずらしてもらってその上に寝かせると、次に、上から毛布をかけた。

「どうした!?」

 戸口から声がしたので振り返ると、そこには久川がいた。話をするのはいつぶりか分からないくらいたが、久川はそんなこと以上に関が毛布にくるまっているのに驚いたようだった。

「倒れて……」

 桜井もそのまま久川を見上げる。

「救急車は?」

 同じことを言っている。

「いいって……意識はあるみたいだけど……どうしたらいいんだろう。脈とかはかった方がいいのかな?」

「測れるのかよ」

「……」

 そんなわけはないし、脈が何の目安になるのかも分からない。

「おでこ冷やした方がいいのかな? 熱あるのかな」

 勝手に額に手をやる。

 次いで、自分の額にも乗せてみる。

 だが、よくは分からない。

「体温計取ってくる」

「いや、もう帰った方がいいよ」

「あ、そうだね……。私、送ってこうか」

「……なんで眞依が送ってくんだよ」

 関は目を閉じているが、寝入っているとは思えなかったので、このタイミングでその物言いは違うと、睨んだ。

「…私、休みだし」

「なんで休みなのに来たわけ?」

「仕事だよ」

 目を閉じた関を見つめて言い切る。

「……送るのは、誰か……18時上がりのヤツに頼めばいいだろ。もうすぐだし」

「……いいよ。誰が18時上がりなの? そんなの頼めないよ」

「何で他のヤツに頼めないわけ?」

「部下の人にそんなこと頼めるわけないじゃん。私は善意で送ってこうって言ってるの!」
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