この人だけは絶対に落とせない
8月10日

「…はあ……。………」

 ここ数か月、デジカメの在庫がふた月に一台なくなっているのにも関わらず、その原因をつきとめられていない市瀬は、関と共に今後策が思いつかず、ただ立ち尽くしていた。

 在庫がなくなっているのが発見されたのが、最初の在庫照査の日。次がその2か月後の在庫照査の日、そして、昨日の在庫照査の日。約6か月。3回も4万円弱のデジカメが紛失している。

 2カ月の間と間は開いているが、2度目に盗まれた後からは月に一度確認きちんと確認していた。

 スマホのカメラが主流になった今中途半端なデジカメ自体の動きは良くない。転売するにも、盗むリスクの方が大きいだろうに、そうまでして何故デジカメに拘っているのか、誰が盗んでいるのか、しかも、2か月前からはこちらが動きを追っているのにも関わらず何故盗むのか、全てが謎だった。

 デジカメだけを店長室に保管するという案を1分前に浮上させてみたが、それが正解なのかどうか一度登部長と相談してみないと分からない、と関は言ったまま黙っていた。

 市瀬は、ここ最近関が微妙に変化したことに気付いていた。

 2週間くらい前から、昼飯に行けるタイミングで行かず、店長室で籠っているなと感じ、デジカメのことを気にしているんだと思ったが、しばらくして比奈野が店を辞めたことで完全にピンときた。

 比奈野がケガをしてから数週間は、これまでにないほど関が上機嫌だったことはおそらく、身近な人間しか気付いてはいないだろうがそれでも、よくもまあ18歳なんぞに手を出したかと恨めしくも、羨ましい限りだった。

 今45歳の既婚で子供もいる自分と、いくら年が近いといえど37歳の独身の関とは全てが違う。別に相手が18歳だろうが何も問題はないし、合意の元なら、というか言い寄られていたのなら、ことさらだ。

 だったはずだったが、どうやら18歳の気まぐれというのは恐ろしいもので…。この傷は37歳にはそれなりに堪えたのではないかと思う。逆を考えれば、18歳に振り回されるほど、関は女性っ気がなかったとも言えるわけで、何か性癖的なものでも隠しているんだろうかと疑わないでもなかった。

「……」

 関は、スマホを手にもう一度考え直している。

 登に問うのに、それほど勇気が必要なのか…いや、その案以外はないのかと考え抜いているのだ。

「……」

 しかし、市瀬には違う疑念が1つあった。それは、比奈野がデジカメを盗んでそのまま退社した、というよくあり得る説だ。

 ひょっとして、関もそれを疑っているのかもしれない。

 手にしていたスマホの液晶を暗くし、

「ふー」

と息を吐いてスマホをポケットに入れた関は天井を仰いだ。

 目を閉じて考えている。

「……」

 自分は2人の仲を確信してはいるが、実際見たことはない。そのことについて一度も関と話したこともない。

「……誰が盗んだのか」

 関のその一言でピンときた。

 やはり、比奈野を疑っていたのだ。

 犯人はデジカメを盗み続けるつもりのような気がしていたが、「盗んだ」と過去形にしている。

「…ぬ……」

 口にしていいものかどうか、もう一度考えようと思ったが、関が睨むようにこちらを見た。

「……盗んでそのまま退社したということは考えられませんか……過去に」

 比奈野が辞めたのはつい一週間ほど前だ。「過去」とは付け足したが、足りなかったか。

「最初に盗まれたのが6か月前。それから倉庫で退社したのは2人。1人は丁度6か月前。もう1人は一週間前」

 関はこちらを見ずに早口で続ける。

「全員ことは早い段階で、調査している。比奈野は2回目に紛失したらしき日にち周辺は、学校で出勤していない……確認済みだよ」

 おもむろにパソコンの前の椅子を引き出した関は、そこにどかりと腰かけた。

 後姿はいつも通り、仕事をしている関そのものだ。

 ただ、その画面はカムフラージュのような気がしている。例え営業日報を書いていても、前から顔を見ない限りは、何を考えているのか全く分からない。

 今も売上速報の画面を立ち上げたが、そのことは絶対に考えていないはずだ。

「登部長には、相談してみる。店長室にデジカメを、というのはあり得ない考えだ」

「はい、分かりました」 

 さて、どんな案が出てくるのか、全くもって想像がつかない。

「……」

 用は済んだものとし、部屋から出ようと一歩動いた瞬間、

「市瀬君」

「?はい」

 関が君付けするとは珍しい。何がどうしたと思っていたら

「…飲みに行こうか」


 唐突に誘われたが、一番に嬉しさが込み上げた。

 プライベートはあまり知らないが、おそらく店内で関に食事を誘われた者などほとんどいないような気しかしなかったので、それなりに何か認めてくれたんだろうと思うと素直に嬉しかった。

 いつものように駅前の焼き鳥を提案し、駐車場も教えようと思ったが、ベンツをその辺りの駐車場に停めておくのは嫌な気がしたので、店からは自分が乗せて行き、自分は近くのアパートなので駐車場に車を停めることにした。帰りはタクシーで帰ってもらう。

 段取りが整ったと同時に2人は退社した。市瀬は既に1時間残業していたし、関も10分ほど定時から過ぎていた。

 関の残業時間は時として読めるものではなく、本人に聞いたところ、やらなきゃいけないタイミングでしかやらない、ということだった。今日は登に電話をすることを諦めた時点で仕事は終わったようだった。

「乾杯……」

 なんとなくグラスを合わせて、男2人は小さな丸テーブルを囲んで畳にあぐらを掻く。

 きっと何か話したいことがあるんだ、とは思うが、それが何なのかさっぱり分からない。

「……」

 注意深く観察しながら、ゆっくり飲む。

 関はとりあえずビールを飲みながら、焼き鳥に手をつけている。

 身長180センチの長身、ほどよい肉付きで整った顔つき。普段、社員とコミュニケーションを取ろうとしている時は、随分警戒心を解いて湯に浸かるようにスタッフルームでいるかと思えば、店長室で無言で見せている背中には、到底話しかけられない。

 それが、18歳の比奈野に魅せられ、…フラれたんだろうか。

 おそらく比奈野が告白してから2か月くらいだったと思うが、その間に何が起きたのだろうか…。

「………登部長には、いつごろ連絡するんですか?」

 あまりにも話しださないので、気をつかって話題を出す。

「……さあね……」

 随分素っ気ない。既にビールは一杯近く飲んでしまっているがまだ酔ったとは到底思えない。

「………」

 飲む時は話さないタイプなのだろうか、だとしたら何故俺を呼んだのだろう。

 誰でも良かったのだろうか…だとしたら、1人で来ればよかったはず…。

「………すみません、ビールもう一杯」

 関は1人勝手に注文を追加し、こちらを見ようともしない。

「………」

 なんだろう。ここは逆に比奈野の話を出してくれというサインでもあるのか。

「……関店長は、独り暮らしなんですか?」

「まあね」

 こちらを見ず、適当に答えられる。

「僕も…そうなんです…知ってると思いますけど。もう、5年くらいになるかな。もう娘が嫁さんとそっくりな性格になって……最近はあんまり会ってもないです……」

 自虐ネタで話題を広げるつもりが、

「………」

 関はそれには乗って来ない。

 一体何がしたいんだろう。

 どうして今日は誘われたんだろう。

「……すみません、焼き鳥もう一皿下さい」

 勝手に自分の分だけ注文しているし。

「……」

 別に……どうでもいいか……。

 こちらを見ない関に、お手上げ状態になった市瀬は、自分もビールと焼き鳥を追加し、店の隅にあるテレビを見ながら好き勝手に飲み食いする。

 関の視線はというと、テレビには向いているようだったが、何か考えているらしいことは伝わってきた。ひょっとしたら、話題を考えているのかもしれない、と思わないでもない。

 しかしそのまま、一言も話さず1時間が経過した。

 関はわりと早いペースでビール4杯、焼酎のロックを2杯、焼き鶏2皿を平らげた。

 それに対して市瀬は、どうでもいいかと思いつつも、いつ何を言いだされるのかもしれないといいう警戒心から、ビール1杯焼酎水割り半分で収まっている。

 普段クールな雰囲気変わらず飲んでも変化のない関は顔色を変えず、ただテレビを見ている。

 ふと、テレビで外国の地震ニュースが出たと同時に、店の災害用の備品のことを思い出し、そういえば関が倒れて毛布にくるまっていたことを思い出した。

「そういえば、体調はあれからどうもないですか?」

「………」

 関は壁に背をもたせ、テーブルに肘をついたままグラスを握ったその姿で

「………え、寝てます?」

 いつの間にか関は寝ていた。

 
 まさか、この状況でこのタイミングで眠るなど予想もしなかった市瀬は、驚き、立ち上がってその方に寄った。

「大丈夫です?」

「………」

 もはや、意識はあまりない。

 自分もテレビに集中してしまったので、関が飲み過ぎていたことに気が付かなかった。というか、一緒に飲みに行ったのが初めてなので、どこが限界なのか知らない。

「……関店長! 帰りましょう!」

 起こそうと、肩を揺するとそのまま崩れてしまいそうになる。

「えー??」

 こんな所で男に、しかも上司に泥酔されて後終いを任されるなど、最悪の展開だ。

「タクシー呼びます! 家……なんか、マンションですよね!?」

 誰かにマンションの名前を聞くか!? いや…でも、2人で飲みに行って酔いつぶれたなど、社員には知られたくないに違いない。

「えー……。マジですか、店長……もう。飲みすぎですよ!」

 しかも支払いは全額俺だし。

 なるほど、こういうところが。実はプライベートは随分雑だったために、比奈野にも逃げられたんだ、納得だ。

「……もう、俺んちでいいですよね? 明日休みだし……。

 すみませーん、タクシー呼んでください! お会計お願いします!」



 まさか、この年になって男を、しかも年下の上司の介抱をするなど思いもしなかった市瀬は、アパートの2階までなんとか関を引き上げ、ベッドの上に寝かせたのだった。

 身長の割に体重が軽くて助かった。

 自分が飲んでいなくてそれも助かった。とりあえず、ベッドサイドに水を用意して、自分はソファで眠る。全く片付いていない部屋だが、そんなこと、別にどうでもいい。

 朝が来て、わりと寝覚めが良かった市瀬は関がベッドで眠っていることを確認してからシャワーを浴びた。もう一度昨日の流れを頭の中で繰り返してみる。

 ただ1つ分かるのは、関の意外な一面を見た、というだけだった。

 仕事もプライベートも完璧なわけはなく、ある意味普通だったことにほっとし、親近感が湧いたのも確かだ。

 そう考えると腹が空いてくる。昨日は食べも飲みもできなかったので、早炊きで白飯を炊いて卵かけご飯を食べることにする。関の分も考えて、一応、多めに炊いた。

 セットしたと同時に、寝室で物音が聞こえる。

 ようやく起きたかと、主の市瀬はにこやかに、関を出迎えた。

「おはようございます」

「………おはよう…」

 半分笑いながら、関はベッドから足を降ろした。髪の毛は乱れ、顔も多少むくんでいる。

「関店長、昨日の事、覚えてます?」

「……いや……」

 申し訳なさそうに、顔を伏せたまま笑った。

「水、どうぞ」

「……ありがとう……」

 関はすぐにペットボトルに手を出すと、半分ほど飲んでから一息ついた。

 そして、息を大きく吐き、胸ポケットに手をやる。

「タバコ、これで良かったら、どうぞ」

 市瀬は棚の上に置いてあったタバコの箱を揺らして一本取ってもらった後、自らも口にくわえる。
そして、ライターに火をともして差し出した。

「フッ………」

 関は笑みながら、火をつける。

「さすが市瀬副店長、サービス満点だね」

 市瀬は嬉しくなって、

「どういう意味ですか」

 同じく笑った。

 灰皿をテーブルの真ん中に寄せ、自らも床にあぐらを掻く。

 関は煙を吸うごとに正気を取り戻しているようで、段々と表情がいつも通りになっていく。

「昨日、何で俺を誘ったんですか」

 市瀬は思い溜めていたことを聞いた。

「…一緒に食事をしたかったからだよ」

 関はしれっと言い切る。

「その割に、何もしゃべらなかったじゃないですか」

 市瀬は笑いながら言い切った。

「いやあ…色々話題を考えていたら寝ちゃって」

 関はくったくもなく笑う。

「随分考えてたんですね!」

「まあね……」

 本当にこの人だけは読めはしない。

 煙草を片手に、煙を吐きだすそのポーカーフェイスからは、本当に何も読み取れない。既に顔はいつもの仕事の顔だ。

 ふと、本音を探りたくなってくる。

「……関店長……」

「うん?」

「………東都の店長ってどういう気分なんですか?」

 何? 急に、と言いながら時間を使って正直に何か話すか、はぐらかすか、どちらとも取れない中、

「副店長と一緒だよ」

 簡単に言い切る。

「、いや、違うでしょ」

 大型店の店長から東都に抜擢されて来たので店長の気持ちも分かってはいるが、東都はよそとは丸で違う。

「違う?」

「違いますよ! 全然」

「なってみれば分かる。違わないんだよ」

「………」

 説得力がある一言だ。

「自分の仕事をするだけ。うまく店が回った時は気持ちいいし、そうでなかった時は落ち込む」

「…」

 そんな上がり下がりを一度も見たことはないが、そういう皆と同じ一面を持っていたのかと、更に心が近付く。

「…本社、とは違いますよね」

「もちろん」

 関はタバコを灰皿で叩く。

「いやあ……」

 聞きたかった質問の答えが拍子抜けしていたせいで、次が続かない。

「関店長の夢って何かなあって」

 吹き出して笑われた。さすがに自分も笑う。

「夢」

 復唱される。

「仕事に対して、です。夢」

「あー…なんかそれ、久しぶりに聞いたなあ」

「……え」

「昔湊部長が、言ってたよ。なんだったか、忘れたけど」

「湊さんの夢ですか?」

「いや……ええと、鹿谷に、夢を持つといいって言ってたかな」

「あの、鹿谷ですか」

「うん…。あの子は上がってくるよ、絶対に」

 嫉妬心から、次の言葉が何も出なくなる。

「……夢」

 関は、忘れずに話を盛り返してくれる。

「なんだろうなあ…。働いて、寝ることかな」

「……」

 若干答えがズレてはいるが、平坦な毎日、という意味では、それは自分にとっても「夢」かもしれない。

 自分が別居を始めた時のことを思い出した。今も、独り暮らしに慣れただけで、平坦ではない。

 更に、関の仕事上での未来像というものをもう少し奥入って聞きたかったので、まずは自分のことを話すことにする。

「俺は…やっぱり、店長になってみたいです。ここまで来たら」

 関は顔色を全く変えない。

「……」

「その世界がどんなところなのか、俺は見てみたいです」

「……」

「大変だとは思いますけど」

 何も答えてくれないので、仕方なく苦笑してみる。

「次の店長はきっと決まってる」

 予想だにしない一言に、市瀬は目を見開いた。

「だ、誰ですか!?」

 まさか、俺…だとしたら、関店長はどこに……。

「………多分ね」

 関は無表情で短くなったタバコをようやく灰皿で揉み消す。

「……だ、誰ですか?」

 待ち切れなくてもう一度聞いた。
「その時が来たら、分かるよ」

 さすがに言ってはもらえない。

「……全然、予想もつかない……」

「そう?」

 関はそうして完璧に言い切る。

「今東都をちゃんと回せる人は、この会社には1人しかいない」
 
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