きっともう好きじゃない。
長距離組らしきその数人が何周かした頃、ようやく薫が戻ってきた。
トイレに行っただけなのに、なぜかドッと疲れたような顔をしてる。
「かおる、お腹痛かったの?」
「ちがう」
「ならいいけど……」
時間がかかったってことは、つまりそういうことだと思ったのに。
心無しか表情も暗くて、わずかに強ばっている。
体調が悪いのなら帰ろうか、と言おうとしたところで、鼓膜を劈くようなホイッスルが2度鳴り響く。
なんの合図なのかわからなかったのだけど、ちょうど正門に戻ってきた長距離組が中へ戻っていくのを見て、薫がフェンスに近づいていく。
「たぶん、休憩だろ」
見るのに夢中になったり、薫を待っている間に1時間が経っていた。
段差に腰掛けていたり、アスファルトに寝転んでいたり、自由に過ごす部員のうち、フェンス近くに集っていた男子たちに薫が何の躊躇もなく声をかける。
「すみません、呼んで欲しい人がいるんですけど」
がやがやと騒がしく、ときどき空を割っていくほど朗らかで元気な笑い声を響かせていた男子たちが一斉に薫を向く。
中学に入って薫は随分と背が伸びたけど、それでも高校生には敵わないし、体躯の差も大きい。
何を言われたわけでもされたわけでもないのに萎縮してしまうわたしとは違って、薫はピンと胸を張っていた。
「どうしたー? 誰かの弟か?」
いちばんに反応してくれたのは、半袖短パン姿でウインドブレーカーを小脇に抱えた、黒髪短髪の男の人だった。
半袖のシャツの胸元に刺繍がしてあって『篠田』と書かれている。
フェンスに肘を置いてこちらを覗いた篠田さんが薫を見て、それからわたしをちらっと見た。
にっこりと微笑まれて、どう返したらいいのかわからない。
軽く会釈を返すと、今度は目元を和らげる優しい笑みを向けられた。
「西野陽日さんに聞きたいことがあるんです」
こいつが、と肩越しに後ろ手で指をさされた。
薫の指先の直線上にいるわたしに、今度は笑みではなくて驚いたような顔をする篠田さん。
ぱちりと黒目がちな瞳を瞬いたかと思うと、ひらりと手招きをされる。
けど、その仕草に素直に従えなくて、カバンの紐をぎゅっと握る。
「おいで、大丈夫だよ」
初対面の人にこれだけずっと笑顔を向けられて、嫌な気がしない。
それはたぶん、作ったような笑みではなくて、とても自然に口角を上げて目元を緩めて、肩の力を抜くからだと思う。
振り向いた薫の目が、早くしろよって言っていて、目の前の篠田さんを少しは見習ってほしいくらいだ。