きっともう好きじゃない。
たとえ今この動悸が収まったとしても、さっきの出来事は拭えないし隠し得ない。
気を抜くと叫び出してしまいそうだ。
人のいないフロアとはいえ、そんなことはできない。
駆け付けられて困るのもわたしだから。
どれくらい時間が経ったのかもわからない。
チャイムの回数を数えて、個室のドアをわずかに開けて顔を出した先の小窓から漏れる光が西日を含み出す頃、ようやくトイレを出た。
人の気配がないことを確認して、そろそろと廊下を進む。
階段を降りるのがこわい。
話し声も足元も聞こえない。
大丈夫だと自分に言い聞かせて教室に入ると、生徒は誰もいなかった。
カバンの側面に付箋が貼り付けられていて、見ると友だちからのメッセージが書かれていた。
大丈夫だからね、と書かれた一文が信じられない。
きっと、大丈夫なんかじゃない。
気休めにもならないのなら、そんなことは書かないでほしかった。
荷物を持って玄関へと向かう。
誰にも鉢合わせないように、遠回りをした。
校舎内に残っているのは文化部くらいで、他に人の姿はない。
俯いて歩いていると、耳には聞こえるはずのない声がたくさん響く。
カバンの持ち手を握り締めて声を追い払い、玄関の前で顔を上げたとき、思わず目を見張った。
靴箱に凭れてじっと前を見据えている、まおちゃんがいたから。
隠れることもできずに横顔を見つめていると、わたしに気付いたまおちゃんが困ったように笑った。
緊張が解けたような顔にも見えた。
「和華」
立ち尽くすことしかできないわたしに、まおちゃんが歩み寄る。
震える指先をすり抜けて、カバンが床に落ちた。
あとちょっとの距離で小走りになったまおちゃんがわたしを抱き竦める。
力いっぱいに。何かとても大きな不安に怯える子どものように。
「ごめん、和華。ごめんな」
「なんで……」
なんで、まおちゃんが謝るの?
まるで、幼馴染みでごめん、と言っているように聞こえた。
わたしの勘違いなのかもしれない。
わたしが、まおちゃんに対してそう思ってしまったのかもしれない。
まおちゃんの背中に腕を回して、抱きつきたかった。
離さないように、離れないように。
だけど、できなかった。
突き放すことも、抱きしめ返すことも。
うわ言のようにごめんを繰り返すまおちゃんに、何も言えなかった。