桜花一片に願いを
 十六の時に初めて付き合った人は、五歳年上だった。大学の時の彼は八歳年上。社会人になってからは、十歳くらいは離れた人ばかり。
 最初の相手が年上だったせいか、同年代の男はどうしても頼りなく見えてしまう。

 夏目先生は、たしか今年三十三歳だ。三つしか離れていない。私の好みとは違う。なのにどうして私は、京都まで来て、学会会場の後ろの席でこっそり夏目先生の発表を聞いてしまったのだろう。

 活発な質疑応答が続く会場を、目立たないように後にした。そして人混みを避けながらホテルのロビーを抜け、中庭に出てベンチに座った。見上げると、葉が日の光に透けている。

(あんなに忙しそうだったのに、よく学会発表の準備までこなしたな)

 夏目先生は、三月まで都内の大学病院の循環器内科に勤務していた。その激務ぶりは、MRという職業柄、容易に想像できる。緊急の呼び出しが夜間や休日問わずにあったはずだ。

 さらに夏目先生は企業の嘱託医もこなし、その企業の社員で構成されるブラスジャズのバンドでも活動するという(私が夏目先生と知り合ったのは、このバンドに親友の花音が勧誘されたのがきっかけだ)、いつ眠っているのかわからないような生活を送っていた。だが会えばいつも穏やかで感じが良く、疲れた顔は見せず、私は内心「すごいな」と尊敬していた。

 そんな夏目先生が花音のことを好きになったのは、去年の秋ごろだ。

 それを知った時、嬉しかった。

 引っ込み思案で優柔不断なところのある花音の良さを分かってくれるなんて。なんていい人なんだと、私の中での夏目先生評はさらに上昇した。私は密かに夏目先生を応援し、煮え切らない花音をけしかけてみたりもした。

 花音によると夏目先生は意外と押しが強く、それもあって、二人はうまくいったように見えた。年末にはかなりいい感じだったと思う。

 それなのに、花音は夏目先生と別れてしまった――桜の蕾が膨らみかけた頃に。
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