死に損ないはヒーローのとなり
彼に対峙するかのように、影が収束し始める。やがて影は3mほどの巨大なカマキリのような形にまとまった。

《邪魔者、やっと、イプシロンを、みつけた、のに》

独特のノイズ混じりに、大人とも子供とも、男とも女ともつかない声でカマキリは憤りながら、少年に踏切バーほどの鎌を振り落とした。

「ああ、俺も同じこと思ってたよ。奇遇だな!」

彼は横に軽く飛んで鎌を躱すと、カマキリに向かって走り出した。一歩、二歩、三歩――歩幅が蹴り出す度に伸びていく。新幹線みたいなスピードだ。あっという間に懐に潜り込んだ彼は、スピードを生かしたままカマキリの腹に拳を突き刺した。

《あ゛、ァッ》

断末魔を上げてカマキリは放物線を描く。踏切の中ほどで線路に叩きつけられたようだ。小さな地震がカマキリの重さを屋根の上の私に伝える。

「すまねえけど、俺は強いんだ」

ラストスパートと言わんばかりに彼は再びカマキリに向かって加速していく。なんだろう、嫌な予感がする。朝起きた時からずっと続いていた頭痛がぶり返して、私は思わず頭を抱えた。脳内に断片的なイメージが流れてくる。

無数の触手。
傷だらけの腕が黒の中に沈んでいく。

ああ、さっきまでのは、演出だったのか。
これは――

――罠。


「下がって!!!!!!!」

気づけば私は叫んでいた。お腹から声を出したのは、何年ぶりだろうか。私の声に素直に反応した彼はバックステップで前進していた勢いを殺した。刹那、彼が潜り込んでいたであろうカマキリの腹部を裂いて無数の触手が伸びてきた。あのまま加速を続けていれば、間違いなく彼は身体ごと呑まれていただろう。しかし触手はしつこくスニーカーを履いた足首にまとわりつこうとする。

《お前の、能力、加速だけ――捕らえて、しまえば、おしまいだ》
「ああ、そうだな」

彼は絡もうとする触手を踏みつけると歯をみせた。

「だけど――たとえば、お前を構成している分子の熱運動を『加速』させたとしたら、どうなる?」
《ぐ、ァ、》

触手が煙をあげて怯む。オレンジの光がちらちらと動いている。おそらく――燃えている。彼の『能力』は自身と触れたものを加速させるというものなのだろう。それを応用してカマキリの触手を加熱し、焼き切ったようだ。

《寄、るな!》

触手の奥から大きく振るわれた鎌を彼はたやすく避けた。ほっとしたのも束の間、妙な寒気を感じる。

――ここにいちゃいけない。

なら、どこへ?ほんのりとした違和感よりも直感を信じて、私は屋根の上を走り出した。
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