初恋の花が咲くころ
編集長と過ごす時間が長くなったせいか、あやめのことを教えて行くうちに、だんだんと編集長自身についても段々と理解してきた。
見た目からしてブラックのコーヒーだけを飲みそうなのに、意外と甘党だ。
「また、シュークリーム食べているんですか?」
ランチから戻ると、自分のデスクでいくつものシュークリームを頬張っている桐生を見て咲は言った。自分の分があるとか、期待するのはやめておいた。例え5つほど買ってきたとしても、それは全て桐生用だ。
手についたクリームをなめると、側にあったウェットティッシュで手を拭きながら桐生は聞いた。
「月島は…、甘いもの食べる男は論外か?」
「知りませんよ」
だんだんと扱いに慣れて来た咲は、スリープ状態になっているパソコンに向きおなり、電源を入れる。それから、横目で落ち込んでいる桐生を見て、ため息を吐いた。
「男性のタイプは知りませんが、あやめ本人はかなりの甘党ですよ」
「そうなのか」
桐生の顔が輝いた。
「ドン引きするレベルですよ。スモールサイズのコーヒーなのに砂糖4・5個は入れるし、そこにシロップも追加するんですから。もはや砂糖飲んでるんじゃなかって思いません?」
あやめのことは大好きだけど、そこだけは同意しかねると顔をしかめて桐生の方を向くと、桐生は宙を見つめながら言った。
「可愛い」
「は?」
「可愛いらしいよ。甘党の女子は」
「いや、甘党のレベルを超えてるっていう話…」
この男の耳には、あやめに関しての情報は全ていい方向へ変換されるようだ。
「成瀬、お前は?甘いものは好きか?」
「私ですか?食べるとしたらビターチョコですかね」
「ビターチョコ?」
「はい。私のお気に入りは82%カカオです」
「それは、もはや人間の食い物ではない」
桐生は真顔で、首を振った。
「失礼ですよ!」
思わず席から立ち上がりそうになる咲に向かって、ははっと笑う桐生に不覚にも心臓が跳ね上がってしまう。その原因が分からなくて、胸を抑えたまま咲は静かに椅子に座りなおした。
その時、編集長室のドアがコンコンとノックされた。そしてドアの向こうから元気のない声が聞こえた。
「む、向田です」
「入れ」
その言いぐさに咲は軽く桐生を睨み、それから立ち上がって向田さんの為にドアを開けた。
「し、失礼します」
「こんにちは」
笑顔で向田さんに会釈すると、咲の顔を見た向田さんがホッとするのが見て取れた。この鬼ヶ島にいるのは、自分一人ではなくて心強いと感じているようだ。
「なんの用だ?」
その様子を面白くなさそうに見ていた桐生は、威圧的な態度で向田に向かって話かける。
向田の表情に残っていた安心感は、一瞬にして吹き飛んだ。桐生のデスクに駆け寄り、紙の束を両手で(まるでどこかの殿様に宝物を献上するかのように)手渡した。
「来月号のチェックをお願いします」
「分かった」
咲は、向田の後ろから桐生に手ぶりで「ここでありがとうって言って!」と合図をする。
一応、その意図は桐生に伝わったが、その言葉が中々口から出てこない。
「あ…あ…」
という良く分からない音が漏れ出るだけだ。
びくついていた向田の顔も段々と、不思議そうな表情に変化していく。結局、咳払いしてごまかし、「まだ何か用があるのか?」と睨みつけて終わった。
咲はため息を吐いた。
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