初恋の花が咲くころ
「なんですか、あれ!みんな、見てみぬふり!信じられない!そんなに時間がないんですか!」
タクシーの中で、咲は怒涛のように叫んだ。
しかし、タクシーの運転手がうるさそうに咲を睨んだので、少し声を抑える。
「僕もみんなの気持ちわかるけどね…」
隣でまだ大量に汗をかいている向田さんがぼそりと言った。
「みんなも必死なんだ。新しい編集長に認められようと、頑張っている。雑誌の業績が延びなくなって新しい編集長が来たんだけど、かなり厳しくて、怒鳴られることは多いし、新しい案を出しても即効目の前で却下されるし、だから辞めてく人ばかりで。そんな中、他の人間に構ってる暇があったら、自分の仕事頑張りたいって思うよ」
落ち着いて話す向田さんの言葉を一つ一つ、胸に落とし込んでいると、咲のイライラもだんだんと収まっていった。
「そうだったんですね…。大声出して、すみませんでした」
「いや、ありがとうね。病院まで付き添ってもらって」
一番近い病院に着くと、向田さんは検査のためしばらくいないといけないと言い、咲に届け物をお願いして検査室へと入って行った。

分厚い茶封筒を手に持ち、先ほどのタクシーに乗り込んで向田さんに教わったホテルへと急いで向かった。
外観からして高級感漂うホテルの回転ドアの前で、咲は自分のスマホが鳴っているのに気づいた。
―「もしもし、咲?大丈夫?ケガは?」―
電話の相手は、あやめだった。たまたま外出していて何も知らなったが、咲が向田と病院へ行ったとだけ知らされてたらしい。
―「あー!私がいれば…!」―
スマホの向こうで悔しがっているあやめの姿が目に浮かぶ。
「私は大丈夫。向田さんは病院で今検査受けているところだから」
―「どこ?私、行こうか?」―
「今、編集長がいるっていうホテルの前にいるの。向田さんに届け物を頼まれて」
―「マジか」―
一瞬にして、あやめのテンションが下がったのが分かった。
「大丈夫、私が届けるから」咲は笑って言った。それから、後ろから人が来ているのに気づき、回転ドアを開けてホテルの中へと入って行く。
ピカピカに磨き上げられた床が、咲が歩くたびにコツコツと軽快に鳴る。人の邪魔にならないように、ロビーへと移動し一番端のテーブルに着いた。
「ちょうど良かった。編集長の名前が分からなくてさ」
―「えーとね、ちょっと待って思い出すから」―
編集長の名前くらい覚えて、と笑いながら咲はペンと手帳を取り出す。
―「そうそう。桐生蓮、桐生連」―
「きりゅう…れん、ね」
漢字が分からないので、ひらがなでとりあえずメモしておく。
―「気を付けてね。いじめられたら、私にすぐ言うんだよ?次こそ訴えてやるから。あのオッサン」―
「それにしても、本社から帰って来てるって聞いたけど、なんでわざわざ持ってこさせるのかな」
―「自分勝手なやつなのよ、本当に」―
「まあ、確かに自分勝手ね」
咲は立ち上がる。話していることに夢中で後ろに人がいることに気がつかなった。
「おい」
後ろから肩を掴まれて、咲は驚いて思わずスマホを落としてしまった。
スマホからあやめの「もしもし?」という声が聞こえてくる。しかし、目の前で鋭い眼光を放つ全身真っ黒いスーツ姿の推定180㎝以上の若いチンピラ男性に肩を掴まれたままでは、それを拾い上げることも出来なかった。
「それ」
切れ長の瞳が、咲の持っている茶封筒に注がれた。
「貸せ」
「え?あ、あの…これは…これは預かりもので…」
中身は皆目見当もつかないが、向田さんに頼まれた届け物を、見知らぬ人に渡すわけにはいかない。
しっかりと胸の前で、抱え直す。
「お前なぁ…」
イライラしたように頭を掻き、それから茶封筒に手を伸ばした。
「いいから渡せ!」
咲は恐怖に打ち勝とうと、一歩下がり深くお辞儀をした。
「あの、す、すみません、失礼します!」
そう言って、そのままホテルから飛び出して行った。
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