プラチナの景色

次の日から私の日常は一変した。

私は広報から総務に移り、彼の会社の担当者になった。

もっとも、担当者というより、専務個人の連絡を待つ係りと言った方がよい。

大事な取引先とはいえ、こちらの会社の人事にまで口を挟めるなんて、彼はどれほどの力を持っているのだろう。

それとも、私の会社は彼になにか弱みを握られているのだろうか。

こうなったのは私が専務の要求を受け入れた結果ではあるが、仕事が面白くなってきたところでもあり配置換えは不満だった。



「私との契約が終了したら、元の部署に戻れるようになっている。心配するな」



心の奥を見透かしたような答えは気に入らないが、黙って従うしかなかった。


私達は週に2~3回ほど会った。

パーティーへの出席が多かったが、彼がその場の人々へ私を紹介すると 「専務にこのような方がいらっしゃいましたか」 と相手は一様に驚いた。

これまでもこのような機会は多かっただろうに、女性同伴の出席はなかったのだろうか。

不思議に思って、知り合いに声を掛けられホテル前で立ち話をする彼を待つ間、運転手の関さんに尋ねた。



「はい、専務はこれまでお一人でお出かけでした。亜矢子様がいらしゃってから華やかになり、私も嬉しく思っています」



老齢の運転手は後部座席の会話も聞いているはず、それなのに、余計なことは一切口にしない。

私へは横柄な口の利き方をする彼も、運転手の関さんには丁寧だった。



「ホテルに行く前に会社に寄ってください」

 
「はい。守衛室の前でよろしいでしょうか」


「えぇ、お願いします」



会社に着くと、私へすぐに帰ってくるから待っててくれと言い残し、小走りで中へ入っていく。

そして、守衛室に向かって 「ご苦労様」 と声をかけるのを忘れない。

彼の意外な一面を、たびたび目にした。

垣間見る顔は優しく穏やかだった。

こうして私は彼の内面に少しずつ触れていった。




セレブと呼ばれる人々に交じり、なんの苦労もなく過ごしてますといった微笑をたたえ、彼のそばに寄り添う。

ただそばにいるだけではない、常に上品に振る舞い、完璧なマナーが要求された。

それが私の仕事だった。

親が残した財産はなかったが、母に厳しく躾けられたことが、こんなところで役立つなんてと自嘲の笑みがこぼれた。

祖父の事業の失敗で、少女時代の裕福な暮らしは一変した。

父は借金の返済に追われ、それまで働いたことのない母も解雇した従業員の変わりに必死に働いた。

不遇の中、早逝した父の代わりに表立った仕事を引き受けてくれた父の親友の、その息子である寛人と親しくなるのにそう時間は掛からなかった。



「このままじゃダメだ。なにか新しいことに着手しなければ、この業界は生き残れないよ」



必ず帰ってくるからと言い残して、私たちの前から姿を消して一年以上がたつ。

どこで何をしているのか連絡のひとつもなく、裏切られた感の強まるこの頃だ。




専務との三ヶ月の予定は更新されて、『期限付きの恋人』 も半年が過ぎようとしていた。



「こんなにパーティーにでる必要があるの? あなたにとって無駄でしかないわ」


「君がそんなことを知る必要はない」


「そうね、私はあなたに雇われた恋人でした。はいはい、わかりました」


「すまない。つい……忙しくてイライラしていた。悪かった」



今夜の彼は、いつにも増して疲労の色が濃かった。

自分でもなぜそうしたのかわからない。

この人は癒される時がないのだと感じた瞬間、彼の肩を抱きしめていた。

一瞬、ビクンと反応した大きな体は、ほどなく力が抜け、すべて私に預けたのかと思うほど重く肩に寄りかかった。



「関さん、このまま利樹さんのマンションに行ってください。今夜のパーティーはキャンセルしましょう」


「かしこまりました。すぐ秘書さんに連絡を取りますので」


「ちょっと待ってくれ、勝手なことをするな。僕は大丈夫だ」



私の腕を振り払い、怒りの顔が反論したが、今夜の私は屈しない。



「利樹さん、今の自分の顔を鏡で見て。そんな疲れた顔で出席したら、どんな陰口を叩かれるか。

あそこの専務はかなり疲れているようだ、事業も上手くいってないんじゃないかって、そう言われるのよ。

死んだ父がそうだった。無理をして、働きすぎて、私たちを遺して先に逝ったの……」


「専務、キャンセルでよろしいですね。亜矢子様のおっしゃるとおりになさってください」



いままで従順に務めてきた運転手にまでそう言われ、彼は仕方なくではあるが承知した。

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