プラチナの景色
数十分後、私達はマンションからそう遠くない高級スーパーにいた。
スーツを脱いだ彼は、タートルネックのインナーに革のジャケット、深くかぶった帽子からは綺麗な鼻筋と口が見えるだけ。
同じような格好の私と並んでも彼の方が目立ったが、それでもスーツ姿ではない彼に誰も気がつかない。
彼の右手はカートを押し、左手は私の右手を握っていた。
「僕の顔はそんなに疲れて見えた?」
「えぇ、今にも倒れそうだった」
明日の午前中までスケジュールは全部キャンセルしましたからと、彼の秘書から電話があったのは食事のあと。
運転手の関さんが、専務の疲労が激しいと大げさに伝えたらしいと、笑いながら教えてくれた。
いま彼の頭は、私の膝の上に乗っている。
「疲れたでしょう。私の膝を貸しましょうか」
冗談のつもりでいったのに、
「ありがとう。じゃぁ遠慮なく」
彼は躊躇うことなくソファに体を横たえて、頭を私の膝に預けた。
それは心地よい重みだった。
寛人にもよく膝を貸した。
枕より亜矢子の膝がいいと真顔で言ってくれた男は、今どこにいるのか。
いつも私のそばにいて、喜びも苦悩も共有してきたと思っていたのに……
利樹の髪を撫でながら、私の意識は別の男のもとへ飛んでいた。
ふっと膝に重みが増した、彼が寝入ったようだ。
眠りを妨げないように、そのまま長い時間そっと頭を抱え続けた。
目が覚めたとき目にしたのは、天井から下げられた飛行機のモビールだった。
空調の風にあおられて、ふわりと飛んでいるようにも見えた。
部屋を見回すと、棚には車のミニチュアや作りかけの模型が置かれ、オットマン付きのリクライニングチェアの前には大型クスリーン、壁一面にDVDがずらりと並んでいる。
色の調和などどこにもなく、物が主張する色に囲まれていた。
それらに埋もれるように、机に向かう彼の背中が見えた。
ここが彼の本当の居場所だ。
好きなものに囲まれ、自由気ままに息をするための部屋なのだ。
いつの間にここにきたのか、私はベッドに寝ていた。
手を伸ばしても脇に届かない広いベッドは、微かに彼の匂いがした。
「利樹さん……」
大きな声を出したつもりはなかったのに、私の声は部屋に響き渡った。
椅子を回転させ立ち上がった彼は、歩み寄りベッドの縁に腰掛けた。
「もう少し寝てれば良かったのに」
「ここにあなたが運んでくれたの?」
「さっきは君の膝で寝てしまったようだ。目が覚めたら君も寝ていたよ。
そのままあのソファに寝かせようと思ったが、この部屋でやることがあってね。
起きたら僕がどこにいるのかわからないだろう? だから運んだ」
「重かったでしょう」
「そんなことはない。僕のほうこそ長い時間すまなかった。君の膝が麻痺したんじゃないか?」
互いを労わりながら、気持ちがゆっくりと寄り添っていく。
ベッドから起き上がった私に、彼は冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターを渡してくれた。
「この部屋、あなたのお城みたい」
「あぁ、そうかもな。他人が入ったのは君が初めてだ」
「あら光栄ね。いままで彼女も入れなかったの?」
「そうだ……」
それだけ言うと、目を伏せるように横を向いてしまった。
寂しい横顔だと思った。
手を伸ばして、彼の首に手を回した。
彼の手も私の腰をしっかりと抱きしめた。
彼には私が必要なのだ。
そばにいよう、彼が私を必要としなくなるときまで……
翌朝、ベーコンの焼ける臭いに誘われたよと、俊樹は乱れた髪のまま、まだ眠そうな目でキッチンに姿を見せた。
もうすぐ出来るから待っててねと伝えると、嬉しそうに微笑んで洗面所に消えた。