もうひとりの極上御曹司

愼哉の言葉が、千春の胸に刺さる。

年を重ねるにつれ、亡くなった両親の面影もなにもかもがぼやけ、どんなふうに笑っていたのか思い出せないことが増えた。

千春の髪を三つ編みにしてくれた母親の長く細い指の感触も、いつの間にか忘れている。

実の両親と過ごした長さを、緑や成市、そして愼哉とともに笑い合った時間が超えて久しいのだ、思い出せなくても仕方がない。

仕方がないとわかっていても、実の両親を忘れて笑っている自分が非情な人間のように思え、千春は苦しんでいる。

愼哉は千春の唇をそっと撫でた。

「そんなにかみしめると血が出るぞ」
「え、あ……はい」

唇に落とされた刺激に、千春の顔が赤く染まる。

愼哉は千春の後頭部に手を置くと、そのまま力を込めて自分の胸に押しつけた。

「愼哉さん、あの……」

戸惑う千春にかまうことなく愼哉の唇が彼女の目尻をそっとかすめると、千春の体はいっそう熱を帯び、鼓動が尋常でないほどの速さで暴れる。

「千春。あのマイペースで周りの迷惑なんて考えない母さんでさえ、一生逃げられない苦しみと折り合いをつけながら生きてる」
「え?」

千春はそれまでの甘い様子とは違う硬い口調の愼哉に違和感を覚え、おずおずと顔を上げた。

「あれだけ能天気な母さんだけど、あの人はあの人で苦しみを背負って生きてるんだ」

千春を見下ろし、愼哉がためらいがちに口を開いた。

「緑さん、なにか悩んでるの?」
「そうだな……。悩んでるというより、自分を責めてる、かな」

愼哉は軽く息を吐き出し、千春の頭を優しく撫でた。


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