シャボン玉の君に触れる日まで
椅子に座ったまま、彼女は俺の顔を覗き込んできた。
ポニーテールが抵抗なく垂れ下がる。
意味がわからなくて、思考が停止した。
瞬きもできずに、ただエリの瞳に吸い込まれる。
「湖にね、行きたいの。一緒に来てほしいな」
……まあ、そうだろうな。
そう思ってから、ようやく脳内に血が流れた気がした。
「いいけど」
エリは何も言わずに座り直す。
さっきの質問が恋愛的な意味だったなら、どう答えただろう。
自分の口から出かかった言葉を探した。
恐らく、返した言葉と同じだ。
俺は、『良い』と言ったと思う。
良いといったところで、今更何になるのか。
もうすぐ死ぬ俺に、これ以上大切なものを増やしちゃいけないだろ。
椅子に置かれた、白い手を見下ろす。
細くて、長くて、綺麗で。
水泳をしている人によく見られる水かきが、人より少し発達しているように見られた。
日が傾いていてよかった。
そうでなければ、きっと顔が火照っていることに気付かれただろう。
無くしたくないものなんて、これ以上増やしたくなかったのに。
もう遅い。隣に座っているこの人の存在が、今俺の心臓を激しく動かしていた。