シャボン玉の君に触れる日まで
「お願いだから、そんなこと言わないでくれよ…。
母さんが俺を想うように、俺だって母さんに生きていてほしい。
それに…まだ、伝えきれてない人がいるんだ。その人のところに行きたい…お願い」
母は、涙を流して固まっていた。
止まらない手の震えが、俺の体に伝わる。
タタタと、廊下を走る音がした。
近づいてきているのもわかった。
先生、先生と話し声も聞こえる。
俺は、肩から母の手を剥がし、布団から這い出た。
「すぐ、戻ってくるから」
母は、放心状態でベッドを見つめていた。
プールからあがった時のように、重力が全身を押さえつけてくる。
驚くほど弱々しい足取りで、病室から走り出た。
「え、片倉くん!?」
近付いてきたのは、やはり藤咲先生だった。
俺は正面玄関から出ることを諦め、奥へと駆ける。
端から二番目の部屋でよかった。
一番端のところには、非常階段があることを知っていたため、俺は無我夢中で極寒の世界に飛び出した。
なんと言ってるかわからない先生たちの声と、足音が聞こえてくる。
そんなもの、お構い無しに俺は湖へと向かっていた。
湖に、エリがいる気がした。
もとより、他にエリの居場所なんて思い付かない。
月が、星が、タイムリミットを示すように、どんどん明るくなる。
─────もし、俺が病室に戻らなかったら…。
その時は、俺のいない世界で、ぽつりと何かを呟いてくれればいい。
俺は決して、離れないから。そばにいるから。
風をきって小道を抜けた。
体が限界と嘆こうが、走り続けた。
まだ死ねない。
もうあと少しだけ…エリに伝えるまで…それまでどうか生かしてください。
流れた涙は、氷になりそうだった。