愛は貫くためにある
麗奈は、包帯を巻かれた右手に、左手でそっと触れた。智和が、傷の手当をして包帯を巻いてくれたのだ。智和のことを思い出しながら目を細めている麗奈を容赦なく現実に引き戻したのは、亜里紗だった。
「随分と遅かったわね?」
威圧的な亜里紗の態度にはいつになっても慣れないな、と麗奈は思った。
「ごめんなさい、お姉様…」
「まあ、いいわ。その怪我が治るまでは勉さまに会わないこと。何かと理由をつけてデートも断りなさい。それから…私がこんなことをしたっていうのを勉さまに言ったら、こんなんじゃ済まないわよ?」
ぐぐぐ、と麗奈の右手首を捻った亜里紗は、不敵の笑みを零した。
「わ、わかりました…。いたいっ!」
麗奈が耐えきれずに声を上げると亜里紗は、ぱっと麗奈の手首を離した。
「ふんっ、その甲高いあんたの声を聞く度にイラつくわ。なんて耳障りな声」
亜里紗はそう捨て台詞を吐いて麗奈の部屋を去っていった。


麗奈はすぐに、勉に電話をかけた。
「お嬢様…!良かった。なかなか連絡が取れず、どうしたものかと思い悩んでおりました。ご無沙汰しております、お嬢様」
さぞ麗奈のことを心配していたのであろう。勉は『良かった』という言葉を、しきりに口にしていた。
「お久しぶりです、勉さん。…ん?」
麗奈は思わず首を傾げた。久しぶりといっても、長い間会っていないというわけではなかった。勉の『ご無沙汰』という言葉に、麗奈は違和感を覚えた。
「どうなさいました?お嬢様」
「そんなに、ご無沙汰していませんよ?この前も、お会いしたではありませんか」
「えっ…ああ…」
勉は少しの間、黙った。
「勉さん…?」
「確かに、お会いしたばかりでしたね。ですが、お嬢様が恋しいあまりに、久しぶりのような感覚に、僕は陥ってしまうのですよ」
勉は電話の向こうで苦笑した。
「嬉しいです。そんなふうに思っていただけるだなんて」
「本当のことを申し上げているまでです。それよりお嬢様、明日僕とデートしていただけますね?」
「勉さん…」
勉は麗奈と交際してからというもの、強気な一面が見え隠れしている。
『デートしてくださいますか?』ではなく、『デートしてくださいますね?』という言葉を投げかけるのは、麗奈を離さないという独占欲からきたものだ。麗奈の自由な選択肢を奪っているのは、紛れもなく勉だった。
「そのことなんですけど…」
「してくださいますね?」
「あ、あの…」
「お嬢様、僕とデートしてくださいますよね?お会いしてくださいますよね?」
勉の語気がだんだんと強くなっていく。
「し、しばらく…お会いするのは控えようかと…」
「お嬢様…!」
勉がいきなり大きな声を出したので、麗奈は驚いて携帯電話を耳から少し離した。勉の声は、明らかに怒っていた。すぐに麗奈は、携帯電話を耳に当てた。
「なぜです?…なぜ?僕はお嬢様のことだけを考えてずっと過ごしてきたのですよ。それなのに、なぜ僕とのデートを断るのです?会うのを控えるなどと…!」
麗奈はびくびくしていた。
「勉さん、あの…私の話を聞いてくださいますか?」
麗奈が怯えていると声でわかった勉は、泣いている子供をあやすように優しい声で麗奈に話しかけた。
「申し訳ございません、お嬢様。怖がらせるつもりなど、ないのです。ですが…僕の愛だけが空回りしているのではないかと心配で、感情的になってしまいました。僕の無礼を、お許しください」
「私の方こそ、ごめんなさい。私が会うのを控えると言ったのには、理由があるんです」
「理由とは?」
「私…体調を崩してしまって。ですから、勉さんにも迷惑をかけてしまいます。勉さんはお仕事も忙しいでしょうし、私は体調が良くなってから勉さんにお会いしたいんです」
「なるほど、そうだったんですね…。僕は何も知らずになんと失礼なことを…」
「いいえ、いいんです。気になさらないでください。元気になったら、またお会い…」
「わかりました、お嬢様」
自分の言葉を遮り勉の口から出た言葉に、麗奈はほっ、と安堵の溜息を漏らした。

(良かった…何とか上手く断ることができた。これで、勉さんに怪我をしていることに気付かれずに済む…)

「それでは、また」
麗奈が電話を切ろうとすると、勉に止められた。
「待ってください、お嬢様」
「なんでしょう?」
「本当に…体の調子が悪いのですね?」
探るような勉の声にぎくりとした麗奈だが、平静を装って答えた。
「そうです。あまり良くなくて…」
「そうですか…お大事にしてくださいね」
「はい、ありがとうございます」
そう言って麗奈は、今度こそ電話を切った。
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