残酷なこの世界は私に愛を教えた
『酒出せよ!』
『あなた……本当に孝彦……?』
残念ながらそれを機にもっと母親はおかしくなった。
酒を要求し暴力を振るう、そんな彼の姿から目を背けたのだ。
私は、小さいながらに何をすれば良いのか必死に考えた。
今考えてみればそれは良くなかった。
私は洗濯物を畳んで、皿洗いをした。要するに、“お手伝い”をした。
何故それをしたのか分からないが、母親を喜ばせたかったことは事実だ。
当時の私には、それくらいしか方法が思い付かなかった。
私の思惑通り、母親の機嫌は良くなった。
でもそれは私が思っていたものとは方向が違ったわけで。
『これ、あの人がやってくれたのかしら』
当時の私は母親が喜べば何でも良かった。
だから、『そうだよ』なんて答えてしまったのだ。
それから母親の父親像は良くなっていって。
私はそれに応えるように家事をするようになった。
でもやっているのが私だと知られてはいけない。
だからそれらを夜やるようになった。
母親の為に裏で家事をこなし、父親には酒を出して相手をする。
そんな生活が確立したのは小学生の頃だったと思う。
“私達家族のために昼間に働き、夜に家事をやってくれる素晴らしい夫”
母親の中で彼はそんな存在になっていった。