ビタースウィートメモリー
過去に一度だけ、人を愛したことがあった。
しかしその結果は惨憺たるもので、それ以来恋愛というものに対して冷めた気持ちを持つようになってしまったのだ。
大学生だった頃から社会人になった今も、悠莉を口説こうとする男性はたまに現れる。
悠莉は、よほど面倒くさそうな男性でなければ放置していた。
人当たりは良いが常に冷静さを失わない悠莉に、最初は気持ちが盛り上がっていた男性も、徐々に冷めていくのだ。
いつの間にか好かれ、いつの間にか距離を置かれている。
ここ数年は、その繰り返しだ。
もはや情熱が枯渇した悠莉にとっては、鬱陶しいはずの大地のファンクラブですら羨ましい。
視界の端に会社が入ると、悠莉は歩く速度を早めた。
今日やるべき仕事の段取りを思い出し、頭がクリアになっていく。
最近一人身の言い訳にしていた仕事が恋人発言は、わりと本気になりつつあった。
ガラス張りのエントランを突き進み、エレベーターのボタンを押そうとしたその時、後ろから伸びた手がボタンを押した。
薄くシトラスが香り、その匂いに悠莉は振り返った。
「おはようございます」
穏やかな笑顔の吉田克実が、真後ろに立っていた。
昨日の今日である、いきなりの登場に驚いたのか、心臓が跳ね上がった。
「あ、おはようございます。昨日はどうも」
早く誰か来い、と念じるが、こういう時に限って誰も近くに来ない。
エレベーターが来てしまい、悠莉は吉田と二分弱、二人きりの空間で過ごすこととなった。
「今日も暑いですね……これから外回りですか?」
「はい。吉田さんは?」
「この夏新発売の〝色白美人〟のファンデーションのキャンペーンと、もう一件抱えているので死にそうです」
「ああ、ペニンシュラで新作の発表会もありますよね。それですか?」
「〝レモングラス〟夏の限定ネイルですね。あれは発色も申し分ないし、他社のマニキュアよりも持ちがいいのが売りです。4日くらいは剥がれませんよ」
「4日!?ジェルじゃなくて普通のマニキュアで?」
「そう。売り甲斐のある商品でしょう?ところで、青木さんはネイルはしていないんですね」
話の流れで気になったのか、吉田は悠莉の手元に視線を落とした。