ビタースウィートメモリー
「適当に座って」
大地をキッチンの奥の寝室に通して麦茶を出し、悠莉はチェストから部屋着を出した。
「荷ほどきしたいからちょっと待ってて」
トイレに鍵をかけてスーツを脱ぎ、グレーのTシャツと水色のハーフパンツに着替える。
キャリーバッグの足を拭いて、中に詰めていた衣類と今脱いだスーツを洗濯機に突っ込めば、後は回すだけだ。
「お待たせ。で、話しってなんだ?」
「由美のこと。昨日の夜、一緒に産婦人科に行ってきた」
息を潜めて続きを待つ悠莉に、大地は感情を殺した声で言った。
「……想像妊娠だったんだ」
「……え?」
想像妊娠。
実際には妊娠していないが、妊娠している時のような症状が起きること。
大地の言葉に動揺し、悠莉は何を思ったのかGoogleで想像妊娠と検索していた。
説明を読み、冷静さを取り戻していくと、今度は驚きの波が襲う。
「想像妊娠!?」
「だからそうだって。ずっと俺の側にいるために、無意識のうちに妊娠したと思い込んだんだろうって医者に言われた」
「マジか。その後どうなった?」
「そこまで追い詰めて不安にさせた俺が悪いから、とにかく土下座して謝った上で別れてもらった」
まさかのオチである。
「よく別れられたな……」
「別れ話はすんなり終わったよ。想像妊娠って分かったから、由美が俺を縛りつける理由はもう無いんだし」
先週までなら平然と言い放っていたであろう台詞を、今の大地は申し訳なさそうに口にしていた。
「そんなわけで、身辺整理は終わった。今になって、自分が過去に付き合ってきた人たちにどれだけ酷いことをしたのか、理解出来るようになった」
彼女達のことを忘れるつもりはない、と前置きした上で、大地は続けて言った。
「よく考えたら、初めに言わなきゃいけないことを言ってなかったよな。きっとそれが青木の不安を煽ったんだと思う」
「……何が言いたいんだ」
今から大地が何を言うか、なんとなく悠莉は予測出来ていた。
もし自分の予想が当たっていたらと思うと、意味のわからない恐怖が静かに広がり、大地を見ることが出来ない。
そんな悠莉の姿勢に、大地は拒絶を感じて尻込みした。
二人の間に長い沈黙が落ちる。
逡巡の末に大地が捻り出したのは、飾り気のないシンプルな言葉だった。
「青木、俺はお前が好きだ。付き合って欲しい」