ビタースウィートメモリー
翌日、いつもなら朝の8時に出社している悠莉だが、この日は外回りがあるため少し早めに出社した。
アポがない日は日焼け止めにフェイスパウダー、アイブロウと口紅という必要最低限の化粧しかしないが、さすがに人と会うことがわかっていたら気合いが入る。
今日は初夏らしく、カーキのアイシャドウをブラウンのペンシルライナーで締め、それに合わせてマンダリンオレンジの口紅を選んだ。
マスカラを丁寧に塗り直し、腕時計に目を落として現在時刻をチェックし、悠莉は颯爽とトイレを出た。
「青木!今日外回りか?」
声をかけてきたのは悠莉より二歳上の先輩、高橋清治だ。
悠莉に営業のイロハを叩きこんだ彼は、若手ながら三ヶ月連続で契約件数一番の、将来有望な社員だ。
30を前にして蓄えはじめた口髭が似合っているからか、その威厳と貫禄からよく歳と立場を間違われやすい。
「おはようございます。10時に新宿のコスメブラックに伺います」
「ああ、お前が契約取ってきたっていうあそこか!」
コスメブラックは、ドラッグストア以上デパート未満の、そこそこの品質、そこそこの価格の化粧品を取り扱うことを謳ったドラッグストアである。
一般論な薬局とは違い、食料品や飲料水などはもちろん、医薬品の類いも一切置いていないのが特徴だ。
売っているのは化粧品、化粧道具、入浴剤、石鹸などであり、美容に関係のないものは存在しない。
三年前に誕生したばかりのコスメブラックは、新宿の1号店を皮切りに、渋谷、池袋、品川にも進出し、来月には横浜店がオープンする予定だ。
そこそこの品質と価格はまさにリコリス化粧品の商品と合致しており、悠莉は自社のスキンケアブランド『色白美人』の洗顔フォームと石鹸をコスメブラックの本部に売り込み、去年契約を取ったのであった。
年配の男性社員からは疎まれている悠莉だが、その功績の他にも細々と契約を取ってきているため、今のところ社内での評判は上々である。
「もうすぐ、新しくうちのブースが出来るでしょう?売場と商品の配置の最終調整、次のキャンペーンで配る色白美人のサンプルの打ち合わせもするんです」
「まだまだ半人前と思っていたけど、もう一人前だな」
「あたしを育てたのは高橋さんなんですから、そりゃ成長も早いですわ。先輩の教育の賜物です」
「お、嬉しいこと言ってくれるじゃねえか。なら、ここは一つ、先輩に恩返しをしてくれ」