神在(いず)る大陸の物語【月闇の戦記】<邂逅の書>
「な・・・・・!?」
 彼の親指が、彼女の頬についた返り血の斑点を拭い、その手がそっと彼女の肌から離れていく。
「馬鹿か?返り血なんか浴びるお前が間抜けなんだ、何期待してんだよ?」
「なんなのです!そうならそうと、触れる前に言いなさい!
私でなくとも驚きます!それに、誰が期待なんて・・・・無礼です!」
 相変わらずの無粋な言いように、リーヤの眉が吊り上がった。
 怒ったようにこちらを睨みつける彼女を、どこか可笑(おか)しそうに見やりながら、彼は、唇だけで小さく笑って見せたのである。
 こんな風に自然に微笑う彼を見たのは、もしかすると、これが初めてかもしれない・・・・
 にわかにそんな事を思った彼女の紺碧の瞳を、夕闇の風に揺れる見事な栗毛の前髪の下から、燃え盛る炎のような鮮やかな緑玉の瞳が、真っ直ぐに捕らえた。
 古の昔より異形と呼ばれる、この鮮やかで美しい緑の眼差しに見つめられると、何故だろう、体の奥で何かがざわめく。
 流石に、この感覚にはまだ慣れてはいない・・・・
 それはどこか、魅了の魔力にも似て、心の奥に絡み付く見えない鎖のようでもある。
 リーヤは、ふっとその眼差しから瞳をそらすと、微かな動揺を隠すかのように、凛とした表情に綺麗な顔を引き締めて、夕闇に揺れるランドルーラの灯を顧みたのだった。
「先を急ぐのでしょう?行きましょう」
 そう言って、彼女が緋色のマントを翻した時だった、先程から、幌の中で恐々とこちらの様子を伺っていたジプシーの女達が、馬車から次々と顔を出してきたのである。
 その中の一人、実に可愛らしい容姿を持つ若い踊り子が、不意に、馬車の中から石畳の上へと飛び出して来た。
 細い足首に巻かれた銀鈴(ぎんれい)のアンクレットが、足を踏み出す度に高く涼しやかな音を立てる。
 長い琥珀色の髪が夕闇に棚引き、どこか歓喜したように茶色の瞳を輝かせると、彼女は、きょとんと目を丸くしたリーヤの眼前で、何を思ったか、跳ねるようにして思い切りジェスターに抱き付いたのだった。
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